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以下、本文となります。
人口を減らすための具体的な方法として自分が有効だと思うことを書こうと思う。現実的に可能かどうかは別として、ただ、一つの案として。このような方法を選ぶ事が良いのかどうかは別として、ただ思い付くことを挙げたい。私はここに挙げた方法を取るべきだと明言したい訳ではなく、一人一人が人口の増加抑制のためにどのような方法が有効かを考え、思い付いた案を提示し、互いに議論することが大切だと思うので、そのための一つの材料となることを目的として書く。こういうことを考えている人は私以外にも世界中にいると思う。でもそれは全世界の人には共有されていない。もっとこういう議論が共有されたほうが良いと思うので、すでにこのような議論があるとしても自分も自分なりに思うことを書いて公開したいと思う。
◆一人につき、一人までしか自分の遺伝子を受け継ぐ子孫を残してはいけないことにする。
一組のカップルにつき、一人までしか子供を誕生させてはいけないことにする。離婚してから別な人と再婚した場合など、一度誕生させた子供と違う相手との子供であっても、過去に一人でも自分の遺伝子を受け継ぐ子供を残していたら、それ以降は誕生させてはいけない。生涯に一人までということにする。もし二人以上残した場合には何かしらの社会的制約を受けることにする。もし、二人目以降の子孫を隠すために人身売買などの不正な行為があった場合は、発覚した際に何かしら重い刑を受けることになるようにする。一人につき一人までしか遺伝子を残してはいけないというのは、男性の場合も女性の場合も同じ条件にする。男性の場合、もし自分の遺伝子を引き継ぐ子孫が二人以上いることが発覚した場合、本人が自分の子であることを知らなかったとしても認められないことにする。
◆死刑の基準を厳しくする。
一人でも人を正当な理由なく自分の都合で意図的に殺した場合は、死刑となるようにする。冤罪であることが有り得ない状況であれば。事故で意図せずに人を死なせてしまった場合と、自分が攻撃されて正当防衛として相手を殺した場合や、周りの人を殺していたり殺そうとしていたり、殺しかねないような危険な行為をしている人を殺した場合など、ほとんどの人から見て、その人を殺しても仕方がないだけの理由がある場合でない限り、自分の都合で意図的に殺した場合については、一人でも殺していたら、それが確実な場合は死刑となるようにする。一人でも殺していたら殺した本人も死ななければフェアではないから。そしてそれは、精神疾患がある場合や認知症だった場合など、心身が健康な人と同じ判断力がなかった場合にも同様に適用する。なぜなら意図的に人を殺したのなら、どのような状態であったとしても殺したことには変わりないから、殺した責任を負わなければならない状況に違いはないから。また、青少年や子供だった場合にも同様に適用する。2歳くらいでも自分の意思ははっきりとあるのだし、3歳くらいになれば人間は自分の意思で判断ができる。自分で自分が何をやっているのか分かる。善悪の判断も付く。少なくとも6歳以上の場合は、人を殺したら大人と同じ刑ということで良いと思う。子供だからとか未成年だからと言って人を殺しても大人と同様の刑を受けないようにするのは、子供や青少年を馬鹿にしているということだと思う。子供であっても本人が自分で自分のやっていることを分かって意図的にやっているのならば、本人にそれだけの知能と判断力があるということなのだから、それを尊重して、もしも人を一人でも殺した場合はその責任として自分も必ず死ななければならないということにして良いと思う。
◆安楽死を認め、その基準も個人の意思に従うようにする。
日本では認められていないけれど、回復の見込みがなく、もう長く生き延びることができないと明確に分かっている状況のなかで大変な苦痛を伴う生活を強いられる場合などは、本人が望むのならば本人の意思で安らかな死を選べるようになっても良いと思う。そのような場合でなくとも、「もし自分がこういう状況になった場合は死なせてほしい」という意思表示を家族などに示していた場合は、それを証明する本人自筆の文書などがあれば、その状況になったときに医師が安楽死させた場合、それは罪に問われないことになっても良いと思う。例えば私は、脳の機能が衰えて、自分で自分が何をやっているのか分からない状況になり、自分が誰だかも判断が付かなくなったら、死なせてほしい。そういう場合は、脳がそういう状態になってからでは自分から安楽死させてくださいと言えないので、前もって脳が正常に機能している間にその意思表示をしておいて、もしも将来的にそういう状況になったら本人の意思を尊重して安楽死させてもらうというのでも良いと思う。
◆人口の減少に貢献する人を歓迎する風潮を作る。
世界的に、子孫を残す意思の無い人や不妊の人を歓迎する風潮を作るべきだと思う。その人たちは世界人口の増加抑制に貢献するのだから。そういう人たちをマイナスに捉えるような価値観はもう時代遅れのものとして淘汰させれば良いと思う。そういう、人口を絶対に増やさない立場の人たちを尊重するのが現代の地球の最も標準的な価値観、ということにすれば良いと思う。メディアなどでそういう風潮を積極的に作ったら良いと思う。あるいは、自殺する人を悪く言わない風潮を作るのも良いのではないかと思う。自殺は勧めないとしても、でも既に自殺した人というのは、自分の子孫がそれ以降に生まれる可能性を、自ら完全に根絶したということなのだから、世界人口の増加抑制には徹底的に貢献しているということになる。
以上が、人口の減少に有効なのではないかと思う事項。これにはいろいろな欠陥があると思う。例えば、人口が非常に多い国でも少数民族でも同じように一人につき一人までしか遺伝子を残してはいけないことにしてしまうと、少数民族は非常に早い段階でその遺伝子をこの地球上から淘汰させてしまうことになり、現段階で人口が多い民族の遺伝子ばかりになって、それでは遺伝子の多様性を確保できなくなる可能性がある。だからいろいろ検討を重ねなければならないだろうけれど、ともかく何かしら人口の増加抑制のために対策を講じる必要はあると思う。
それからこれは世界人口の件だから、世界規模でやらないと意味がないので一部の国だけでやってもダメだけどね。一部の国でなら、今までも取り組んだ国はあるわけだけれど、それだけでは地球全体の人口の増加抑制には及ばない。最近のテクノロジーの発展で、いま医療技術が格段に発達しているから、これからもっと人口は増えておかしくないと思う。だから、ここに挙げた方法が良いかどうかは別として、何かしら人口の増加抑制のために世界規模で皆で取り組んだら良いと思う。世界規模で人口の増加抑制への取り組みに同意してもらうのはものすごく難しいだろうけどね。でも、例えば環境問題への取り組みだったら、機能しているか否かは別としても、国ごとではなくて何カ国もで同じビジョンを共有したりは一応してるわけだしね。そんな感じで人口についても、世界全体まではいかなくとも何カ国もで目標を掲げたりして同じビジョンを共有しようとするような試みがあったほうがいいと思う。いいと思うっていうか、そうしないともう本当に終わりだと私は思う。
既に人口の増加抑制に関しては公にならないところで行動を起こされているという様々な噂があるけれど、それは起きていて全くおかしくないと思うし、私たちが何もしなければより過激な人口統制が水面下で起きても不思議ではない。
何も対策を立てなければグーグルなどが私たちには分からないように人口の減少を図る行動を起こしても全然おかしくはない。
人口の増加抑制に関してはアメリカやイルミナティを批判する人が多いけれど、今の世界では「世界中の情報を最も多く持っているところ」が最も威力を発揮するはずだから、そういうところの動きを注視したほうが賢明なのではないか。そういう、世界で最も情報を握っている会社は、世界中に最も大きな影響を及ぼせるだけの力があるのだから。
もし私たちが、自分たちで自分たちの天体が健全に維持される方法や、自分たちから続く生命体の未来を考えずに、このまま与えられるものを使って自分たちの範囲内だけの幸福を求めていけば、恐らくほとんどのことは自分で考えなくとも自動的にできるようになり、もう何も考えなくなり、ただ最も情報を持っている一つの会社(それがグーグルかどうかは分からないが)に従って生活を続け、いずれはその一つの小さな組織によって他の人類全体が完全に管理され、飼われているような状態となり、生物としてはそのまま退化していく、ということも十分に考え得る。
今、その状態に向かっている途中のようにも感じるけれど、今はまだ完全にはその状態に至っていないので、まさに今の私たちがどちらの道に進むのか問われているのだと思う。自分たちの考えと行いによって地球全体のバランスを図り、自分たちの健全な営みを実現させ、その先の未来に繋げていけるような選択をするのか、自分たちのことしか考えないが故に自分たちでは自分たちを管理できず、他の何らかの存在に全体のバランスを取る機能を委ねるのか。今その岐路に立っているのだろう。そして、このまま進むと後者の道を辿ることになるのが今の状況からすれば目に見えているのではないだろうか。
2018年9月 間アイ
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