寿命

科学技術の発展や医療の発展のスピードは加速しているので、平均寿命は年々どんどん延びている。このまま寿命が延びれば、理論的にはいずれ人は死ななくなる、だからそうなるはずだと信じている人もいるそうだ。

それは分かるけれど、でもそれでは、自然の摂理によって元々備わっている身体の構造を破ることはできないのではないかなあ。もう細胞自体に、分裂に限界があることが書き込まれているのだから、いずれそれ以上は分裂できなくなりその生物は終わりを迎える。細胞自体がいずれ終わる仕組みを持っているなら、永久に死なないということはないのではないか。

だから、もし永久に死なないようにするなら、細胞それ自体を無限に分裂する仕組みに書き換えないといけないんじゃない?もし、無限に分裂するように細胞の仕組み自体を変えたなら、もしかしたら永久にその生物は続くのかもしれないけど。

でもそれをやって、例えばもし人間が永久に死ななくなったとしたら、もうその世代が永久に地球上にいることになるから、子孫を残すわけにいかなくなる。だから世代交代ができなくなるけどね。ずっと同じ人たちが永久にいることになるから。人類が生活するに足りる食料や資源や居住地は限られているわけだから、誰も死ななくなったら永久にそれ以上は人を増やせないことになるから。

そうすると世代交代が起きず、ずっと同じ人たちだから、そこから先に進化できないんじゃない?まあ、その人たちが生きた状態で進化していくということも考えられるけど、生まれ持った構造は後から変えられないじゃん。だとすると、根本的に別な種類の生物に進化したりはできなくなるよね。

このあいだ、生物の歴史のなかで、生物に性別ができたのと生物が死ぬようになったのは、同時だという話を聞いた。確かに、そうなるのは納得できる。

だって性別ができたら、その掛け合わせで子孫を残せるから、それぞれの個体は死んでも、その種族自体は残っていけるから。ヒトならヒト、イヌならイヌ、ペンギンならペンギンという種族全体としては保存できるから。だから性別があって男女に分かれていれば、個体は死んで大丈夫になる。性別の無い生き物はそういうわけにいかないから死なないのだろうね。

で、性別のある生物たちは、性別の違う個体を掛け合わて次の世代を誕生させることで多様なタイプの個体を作ることに成功し、その種を繁栄させていった。そして強くなっていった。

だからもし死ななくなったら、もうそれまでのように多様に繁栄していくことはできなくなるのではないかね。そこから先に、進めなくなるのだと思う。そしてもし人間が死ななくなったら、人間に性別は必要なくなるということになる。性別の違う人同士を掛け合わせて新しい命を誕生させる必要がなくなるわけだから。

でも逆に、もし今の人間の地点が、これ以上は生物として進化できない、もしくはこれ以上繁栄してはいけないレベルに達しているのなら、必然的にもう、その人間自身が死なない方法を編み出して、人間の技術によって人間が死ななくなり人間の進化を自らストップさせる、ということも有り得るかもしれないけれど。そう考えるなら、それはそれで理に敵っているのかもね。

もしかして、生まれた時点で細胞の分裂回数に限りがあることが決まっているのと同じように、生物の歴史それ自体も、これ以上進化できない地点まで来たら自ら死なないようになってそれ以上は進化できないようになっているのかもね。そういうことも考えられるけど。

だから、生物としての進化は止めて、生物としては止まった状態でテクノロジーによる進化をする、という具合にシフトするのかね。

これまで人類全体の人口は、寿命、戦争、伝染病、自然災害、自殺などによって減ることがあったよね。寿命は一人一人に時間差があって与えられるものだから、一度に急激に減るものではないけれど。

伝染病や自然災害や戦争では、これまで急激に人口が減ることがあった。ある程度、人類全体の人口が増えても、そういうことでまた人口が減って全体が制御され、生態系全体のバランスが保たれてきたのだと思う。

でも今、自然災害も防災の技術が高まりかなり予測ができたり未然に被害を防いだりできるようになってきている。台風は予測できるし、地震はまだ完全には予測できなくても、免震の建物にするなどして、たとえ大きな揺れが生じても耐えられるような技術ができている。

伝染病に関しても、インフルエンザは違う種類のものが新しく出るから全てに対応できないにしてもワクチンを打って罹りにくくすることはできているのだし、過去には天然痘など実際に根絶できた伝染病もあるし、これから医療技術の発展でかなり伝染病も罹るのを防いだり根絶したりできるようになるだろう。

戦争も今のところ、第二次世界対戦以降は、大規模な戦争が起きずに何とか留まっている状態だ。

それから医療技術の発展で、不妊でも子孫を残せるようになったりするだろう。

それでかつ、科学技術の発展で細胞が無限に分裂できるようになったりして死なないようにできたら、もう、宇宙から来る隕石でも衝突しない限り、何も人口が減る要因がなくなるね。

それ大丈夫なのかね。私は普通に死にたい。

それ以前に、何が死なのかということも、技術の発展と共に変わってくるだろう。もし、死ぬ前に脳の中に蓄積された全ての情報を保存できるようになり、次にまた全く同じ遺伝子の人を誕生させることができ、そしてその脳に同じ情報をまたインプットさせることが可能になったら、あたかも前の人生の続きから生き始めるようなことになるわけだから。そうなったとき、身体は一旦途切れるとしても脳のレベルでは続いているわけだから、それを死と呼べるのだろうか。

だから、身体自体の死の問題もあるが、永久に死なないことを目指すかどうかという以前に「何を以て死と言えるのか」という問題が生じるだろう。もし身体が死んでも脳に蓄積された記憶を全てコピーすることができて、かつ遺伝子も全く同じ人にすることができるという場合、身体は新しくなったとしてもそれを「永久に死なない」と考えることもできるだろうから。

でもそれだと同じ人が何度も生まれるような状態となり、また先に進めなくなるだろうけれど。だからいずれにしても「死」は、ある程度進化した生物には必要なものなのだと私は思っている。

私は自分がいずれ死んで、その後、自分の脳にある情報を保存したものを、私ではない、私とは別な遺伝子を持つ人に持ってもらうというのなら意味があるかと思う。そうしたら私と全く同じ知識や技能があっても、遺伝子が違うからきっと私には全く予想が付かない新しい発想や新しいものが何かその人から生まれるだろうから。そうなったほうが、私が永久に続くよりずっといいと思う。

遺伝子と記憶の組み合わせを変えるということ。それをどんどんやって記憶をいろんな身体に回していく感じ。人が死んでもその人の持っていた記憶を他の遺伝子で生まれてくる別な人に与えるという具合。そうやって遺伝子と記憶の色んなセットを作っていけば、どこかしらで全く予測の付かないすごい発明とかが出てくるんじゃないの?だから、同じ人がずっと生き続けるよりは、違う人に回して遺伝子と記憶の組み合わせを変えたほうがいいのではないかとも考えられる。そうやって進化すればいいんじゃないの?

これまでは男性と女性の掛け合わせで次の世代が生まれ、そうやって生物が少しずつ進化してきたわけだけれど、そこから先は、もう死ななくできるなら性別がいらなくなるし子孫を残す必要もなくなるから、遺伝子と記憶の掛け合わせで新しい人を作ればいいんじゃないの?身体を人工的に作れるなら身体だけ器として作っておいて、そこに記憶を入れるみたいな。

そうなったらもうそれは生物じゃない、生物の形をした別種のものか、または生物ではあっても、例えば死なない単細胞生物から、性別があっていずれ死ぬことが決まっている我々のような生物に至ったときと同じような、生物の次の段階なのかもしれないけどね。

ただ、皆が他の皆の脳にある情報を共有できるようになれば、もう、皆が同じ記憶を膨大に持っているもしくはその記憶を同じようにいつでも参照できる状態になるけどね。そしたら別に、誰の記憶を受け継ぐか選ばなくてもいいから意味ないけどね。このまま行ったら、そうなる可能性の方が高いのだろうと思う。だから記憶のレベルでも個人差がなく、皆が皆の記憶を共有していて多様性は無いような状態。

もう、あらゆる病気が未然に防げるようになって死ななくなり、寿命が無くなって生物が生物でないような状態に至り、記憶も保存できてそれを全員が脳のレベルで接続させ共有できるようになり、遺伝子も予め最も望ましいと思われる状態に変えたら、もうあらゆる側面で皆同じような状態になるわけだが、それが最終的に行き着くところなのかね。


2017年12月/2018年1月 間アイ



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