地球に生命が誕生してから、こんなにもその歴史のリセットボタンが目の前に多く存在している時代は恐らく今が初めてなのではないか。今、ぎりぎりそのリセットボタンのどれも押されていない状態が何とか保持されているように思う。そしてそれは、一歩間違えればいつどのように押されてもおかしくはないだろう。そのなかで、きちんとその脅威が認識されているリセットボタンもあれば、まだそれがリセットボタンになり得る存在であると認識されていないものもあるように思う。
例えば、核の脅威やテロの脅威は多くの人に認識されているように思う。もし地球上の皆が核を使ってしまったら大変な事態に陥ることなど誰もが分かっていることだろう。あるいはそれとはまた違った話ではあるが、近年の発展が目覚ましい存在として人工知能については連日メディアで取り上げられている。私はそれはリセットボタンのような存在ではないと思うが、少なくともそれは社会を大きく変えるため、人間が営んできた領域を奪うとか、その脅威が迫っているなどと言われたりする。でも一方で、生命や医療に関する新しい技術については、現状ではその脅威がそこまで取り沙汰されていないように思う。むしろ病気を根本的に治せる喜ばしいこと、人類の夢を叶えることのようにしか言われていないことも多いように思う。
でも本当に、私たちが自分たち生命体を自分たちの思うように治したり変えたりできる技術に対して、人類の願いを叶える喜ばしいものという認識で良いのだろうか。私は、いま出てきている技術が「何の為にあるのか」を考えなくてはならないと思う。それは本当に、私たち人類のために現れた技術なのだろうか。
近年登場したiPS細胞とゲノム編集の技術は、大変素晴らしいものであると同時に、一歩使い方を間違えると大変な脅威にもなり得るだろう。それは私だけではなく多くの人が感じていることなのではないかと思うけれど、それはもっと盛んにメディアで取り上げられたり世間で気軽に話題にされたりする状況になったほうが良いのではないかと私は思っている。それらは人類の獲得したとても価値のある優れた技術であると同時に、使い方によっては人類どころか地球の生命全体の未来を破綻させる脅威にもなり得るほどの影響力を持っていると思うから。その技術をどう使うかということに関して人類は、これからの地球の歴史全体に影響を出すほどの責任を負っていると私は思う。地球環境や生態系全体に関わる技術を手にしているのだから、人類はもう人類だけではなく地球環境全体や地球の生物全体に対して、そしてその未来に対しても責任を負っている状態になっている。ここで人類がどのような判断を下すかによって、地球の未来は大きく違ってくるだろう。その、地球史上きわめて重大な判断が、今の私たち人類に委ねられている。
私は決して技術そのものを否定したいのではない。その技術自体は素晴らしいのだ。でもそれを「何の為に」使うのかというところを間違えると、この地球でこれまで育まれた生命の歴史全体にリセットボタンを押すことになるのだと思っている。それを回避するためには、その技術が「何の為に現れたのか」ということを考える必要があるのではないか。
おそらくこの宇宙のどこの天体で生命が誕生したとしても、その生命が知的生命体まで進化し、ある地点まで到達したとき、その生物は自ら生命を操作する技術を手にするのではないかと私は思う。それが何か、この宇宙全体の必然なのではないかと思うから。だから生命体が生命体自身を操る技術は、この宇宙に必然的に現れるものなのだと思っている。何らかの理由でそのような技術がこの宇宙に必要だから現れるような、必然的なものなのだと思う。だからそれは、その技術を手にした生物自身のために登場するような狭い範囲に限られたものではなく、もっと大きな視野でその必要性が捉えられるべきものなのではないか。生命体が生命体自身を操れるようになったら、その技術はそれを開発した生物自身のためになるというより、その範囲を遥かに超えるような、もっと大きな価値を持っているのではないかと思う。それは宇宙全体の歴史のなかで、何か必要なことだから起きるような現象なのではないか。
もし人類が人類の幸福のためだけにそれらの技術を用いたのなら、iPS細胞は人口の増加を、ゲノム編集は人口の増加と遺伝子の多様性の喪失をもたらすことになるだろう。それは核の脅威と同じくらいかそれ以上に、大いなる脅威だと思う。それは一見、生命を発展させることに見えるが、使い方次第では生命の歴史のリセットボタンにもなり得る存在なのではないか。
現在もう既に地球上に人類は多くなり過ぎているのだから、これ以上人口が増加すれば食料危機や環境汚染の問題が格段に深刻化するだろう。そして、遺伝子の多様性が失われれば、その種の生物は衰退して行くだろう。人類の遺伝子を人類自ら選別するようになると、途端に急速な勢いで特定の遺伝子が淘汰されて行くという現象が起き兼ねない。そうなれば人類の多様性は確保されなくなり、次第に衰退していくことになるだろう。そうなれば人類から先の未来が続かなくなるのではないか。
今までも何度も地球上で生命が大量に絶滅しリセットに近い状態になったことはあるわけだが、それは隕石の衝突や火山活動などによって「自然に」もたらされたものだった。リセットボタンを押したのは自然現象や宇宙のなかでの偶然。巨大隕石の衝突によって地球全体が塵に覆われ、長い氷河期が訪れ、大量の生物が絶滅してしまったこともある。そしてまたそこから新たな生命の歴史が編まれてきた。今まで地球はそういうことを繰り返してきたのだから、生命の歴史にある種のリセットボタンが押されるのはこれが初めてということではないだろう。だけれどこの次は、その押され方が今までとは違うと思うのだ。
このまま歴史が進むと、もうすぐ地球史のリセットボタンが再び押されるのではないか。それが数十年後なのか百年以上後なのかは分からないが、そう遠くはないように思う。そして次の地球史のリセットボタンは、隕石の衝突や自然災害などではなく、人類によって押されるのだろうと私は思っている。ならばそれは不可避な自然現象ではなく人為によって引き起こされるものなのだから、我々人類の意思によってそれを押すタイミングを遅らせたり、押さないという選択肢を選ぶことも可能であるはずだ。
だから次のリセットボタンを押す前に、本当にそれで良いのか、考えられるだけのことは考えなくてはならないと私は思う。だから私は皆さんと一緒に考えたい。いま私たちが手に入れつつある生命に関わる技術は、本当に私たち自身の幸せのために、私たち自身の夢を叶えるために使うべきものなのかを。
私たち自身の夢を叶えるために私たち人間は存在しているのだろうか。私は、人間が誕生したのは、人間が人間の次なる存在を作り出すために必要だったからだと思っている。だから私たちが手にする技術は、私たちのためではなく、私たちより先へ進むためのツールとして与えられるものなのだと思っている。「私たちは、私たち自身のためではなく、私たちより先の未来を作るために存在している」、それは今まで地球上に登場した他の生物にも似たようなことが言えるだろう。皆、次の生物へと進化を遂げてくれて、地球の生命の歴史がここまで辿り着いたのだから。魚が蛙へと繋がったように、猿が私たち人類へと繋げてくれたように、私たちもまた、次なる存在へ繋げていかなくてはならないだろう。そのためには、ここまで育まれた地球の生命の歴史に、未来へ続く道を残していかなくてはならない。それまではリセットボタンを押してはいけないのだろう。
最後にもう一度問いたい。私たち生命が、生命を思うままに操る技術を手にしたとき、それは私たちの為にあるものなのだろうか。私たち自身の願いを叶えるためだけに使うべきなのだろうか。これは私の個人的な見解に過ぎないが、生命を操作する技術がこの宇宙に現れるのはそれ自身のためではないように思う。それは今の我々のためというよりも、未来のために現れたのではないだろうか。未来にその技術を使った存在が必要だったから、それを作り出す技術が誕生したのではないか。もしそうならば、我々はその技術を使って現れる次の存在へと、無事に生命の歴史を繋いでいくことが使命なのではないだろうか。もうそのような技術が現れて以降は、我々人類が人類の状態を維持したり人類のまま繁栄していくことではなく、人類の先を作ることを目指さなければならないのではないか。そのためには我々人類世代の段階で、生命の歴史にリセットボタンを押してはならない。
2017年11月 間アイ
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