※これは「FUTURE VISION —人類ではなく地球に未来を—」の内容を短くしたようなものです。
人類の未来より生命全体の未来のほうが遥かに大切ではないだろうか。そして宇宙全体の未来のほうが大切ではないだろうか。人類が次の段階の生命体に進むに当たって人類がある程度淘汰される必然があるのであれば、私は明日死んでも全く構わない。
今、この22世紀に向かう時代にあって人類を存続させる目的は何か。
それは人類を存続させること自体のためではなく、人類の次の生命体もしくは次の何らかの存在に繋げるためなのではないか。
もうこの時点まで来たら、人類の存続を自己目的化してはならないように思う。
生命体を自分たちの技術で操作できるという段階まで来た現在に至っては、それを自分たちの存続や繁栄のためだけに用いたのではいずれ自分たちが破綻することとなるだろう。すると自分たちから先の、次の存在へ進化する道も絶たれる。
自分たち自身が自分たちのせいで破綻するのは自己責任であり勝手だが、それが原因でこれまで何十億年も続いてきた生命全体の歴史を閉ざすのは、あまりに責任が重すぎる。
自分たちだけのことで済むのならば、自分たちが滅亡しようとどうなろうと自由だが、自分たち以外も含めた生命体の歴史を蔑ろにしたり、そしてそこから繋がったであろう未来の存在へ続く歴史全体を壊したりする自由はない。そんなことになったら、それはヒトだけの問題ではないから我々には責任の取りようがない。
だからもう、人類が人類を最優先に考える時代ではないのだ。今は、自分たちを一番に考えて自分たちが繁栄できるような時代ではない。そんな時期は生命の歴史の中で既に終わっている。
人類はもう、生命体自体を自分たちの力で操作できる段階まで来たのだから、地球の生命全体に対して、今後の生命の歴史それ自体に対して、とてつもなく大きな責任を負っている。
人類はそれだけの責任を担う時代に突入したのだ。それは科学者や生物学者や医者やその技術を用いたり研究したりする人に限らず、今の時代に生きる全ての人類が自覚しなければならないことなのではないか。今の時代というのは、生命体の歴史が、自分たちで生命体を操作できるところまで来た段階という意味。
サルが人間に進化したとき、最初に僅かに人間へと向かって進み出したサルたちは、自分たちがずっとサルのまま存続しようとし続けた者たちではなかったはずだ。自分たちの存続よりも、自分たちがその先へ行くことのほうを望んだはずだ。もしサルでい続けることを望んだのなら、火を起こして料理する必要はないし、言語を開発する必要もない。仲間を埋葬する必要もない。でも存続させるよりも、先へ進むことを選んだのだ。だからサルからヒトへと進んだのだ。その時のサルたちのお陰で今の我々がヒトとしてヒトの文化を繁栄させることができている。
今まさに、サルからヒトへ至った時のように、ヒトから次の段階の存在へと向かう時なのではないか。今ちょうどその過渡期にあるように思う。その段階に至っては、自分たちを存続させることなどよりも、次の段階へ向かうこと、未来を切り開くことのほうを重んじなければならないのだ。自分たちよりも、自分たちの次の者を優先させなければならない。自分たちの内輪のことよりも、生命全体を尊重する意識を持たなければならない。自分たちにとって何が正しいかということよりも、生命の歴史全体にとって、この宇宙全体にとって「何が必然であるのか」を基準に判断しなくてはならない。
自分たちにとって何が得か、何が自分たちにプラスになるか、何が自分たちにとっての幸福かなど、どうでも良い。そんなことより、生命体が発展することのほうが大切ではないか。だから自分たちより生命全体、地球全体の営みを重んじる意識が必要だ。我々地球の知的生命体が、進むべき次の道へ無事に進むことができるように。
2017年8月 間アイ
© 2017 Aida Ai All Rights Reserved.