人間が生物を超えるとき

いま地球の知的生命体は、生物を超えた存在へと向かいつつあるように思う。その最初の過程として今、人間と機械が融合し始める段階、あるいは生物自体を自分たちでデザインできる段階に突入したところだろう。

ただ私は、今の状況というのは、生物を超えることに向かうような具体的な現象やそのための技術と、人間自身の生物としての意識や姿勢とが、一致していない段階にあるように思う。生物を超えるような未来を望む人がいる一方、それを求める姿勢がとても生物的だったりして、状況と意識とが噛み合っていないように思うことがあるのだ。

例えば、大変に未来志向のような人で、脳と機械を繋げることや体内にロボットを埋め込むことなどに積極的な考え方の人であっても、そういう具体的な技術に対しては未来へ向かう発想を持っている一方、その考えに至る理由が大変に生物的であるという場合がある。人類の次を担うような、生物を超えた存在へと向かう志向は持っていても、根本的な姿勢としては生物のままという状態。例えば、寿命がないようなほとんど生物ではない状態へ向かうことに関心を持つ理由が「自分が永久に生きたいから」とか、脳内の記憶をストックしておきたいなどと思う理由が「自分が死んでもまた同じ自分を保つことができるように」とかいうことだったのなら、それは考え方が大変に生物的であると思う。

なぜならそれは、生物として自分が生き延びようとする態度から来るものであって、自分の欲求や自分の意思や自分の主観、もしくは地球の知的生命体である自分たちの側、とにかく「自分」という地点から世界を捉えている場合に出てくる発想だから。それはいかにも、生物のものの見方だ。宇宙全体から考えるのではなくて、「自分」という存在を礎に考えるということ。「自分が生き延びたい」という生物としての最も根源的な欲求に従ってものを捉えるということ。それは生物なら当たり前だけれど、その感覚がもう、今の生物としては私は前時代的なものになっているように思う。

知的生命体がこれから、もう生物ではないような段階に突入するのなら、考え方の面でも生物を超えた状態にならないといけないのではないか。いずれ生物を超えるような技術が出てきても、ずっと生物的な感覚を基盤にし続けたまま存続するのなら、その姿勢は生物の先への進化には相応しくないように思うから。

たぶん、根本的に持っている感覚やものの捉え方、周りの世界の見方自体がもう生物的ではないという状態が、近い将来に現れる、人類から進化した次の存在の状態だと思うから。人類が人類の先へ向かい、いずれ生物を超えたような存在へと繋がる未来を望むのであれば、私は考え方や姿勢の部分も生物ではない段階に入らないと、望む出来事と姿勢とが合わないように思う。少なくとも我々人類はもう、人類だけの視点から考える時代は過ぎている。自分たちを囲む世界全体の視点からも考えなくてはならない状況にある。

いま我々生命体は自らの技術で進化するという新しい段階に入るときだけれど、もしこの先も考え方や姿勢の面で生物的な部分しか持っていない状態でいるようだと、我々の生活のスタイルや身体の形や脳の機能は大きく進化するとしても、根本的なものの捉え方は700万年間もしくは39億年間変わっていなかった生物の生物らしい感覚を、そのまま維持した状態になると思う。

でもその姿勢自体がここ数十年で変わる転換期にいま私たちはいるのだと思う。ものの捉え方自体が、今、新しくなるべき時なのではないか。身体や脳がいずれ生物を超えるような段階に至るのなら、身体や脳だけでなく、世界の捉え方自体を進化させなければならない。そうでないと、どれだけ知能や身体機能が進化しても、根本的には生物から何も変わらないように思うから。視点をまず「自分たちの側」から「宇宙全体の側」にシフトさせることが、生物から先への進化の第一歩だと私は思う。生物はこれまで自分の主観や自分の欲求を基に、自分の地点を中心として周りの世界を捉えてきたわけだが、それを自分の地点からではなく世界全体に移すことが必要なのではないかと思う。

おそらく完全に生物が生物を超えたとき、それはもう生物ではないのだから、例えばもう死なないのであれば、あるいは死んでもまたすぐに全く同じ自分を作れるのであれば、もう「死なないように」とか「生き延びたい」などと思う必要がなくなる。そうなると、生物としての根本的な欲求を持たなくて良くなる。とすると、もう自分が生き延びるために自分あるいは自分たちの種を中心とした生物的なものの見方自体が必要なくなる。

だから、我々生物が機械と融合し、自分たちで自分たちの命を操作した先に、いずれ生物を超えるような存在が誕生するとすれば、もう必然的に、自分の存続を目的としたものの見方や自分を中心とした世界の捉え方は淘汰されるのではないかと私は思っている。そして今はちょうど、生物的な見方からそうでない見方へと向かう過渡期にあるように思う。


2017年12月/2018年1月 間アイ



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