◆地球の人口の平和的減少へ

まず、人類に差し迫った最も重大な問題は人口の増加だと私は思っている。何とかして人類全体の人口を平和的に減らしていくことが必須だ。このままでは本当に、増え過ぎて自分たちが持たないどころか、そのせいで他の生物にも迷惑が掛かる。というか既に掛かっている。そうなったら無事に未来の存在に繋げていけない。

だから人口増加の抑制に貢献する可能性のある現象は、人口が増えすぎているが故に減らなくてはならないという自然の中での必然性に基づいて起きることなのだと私は思っている。

人口を減少させる可能性のある現象はいろいろあるけれど、できる限り「平和的に」減少させることが理想的だ。

例えば大規模な自然災害で人口が減ることはあるが、それはあまりに悲しいので避けたい。だから防災の技術は今後も発展し、自然災害による被害は減る方向に進むのが望ましい。

また、これまでの人類の歴史を省みれば、たびたび戦争で人口が大幅に減ってきたわけだが、戦争で減るのもあまりに悲しく、減少の仕方として決して望ましくない。また、もし次に大規模な戦争となれば当然ながらこれまでの戦争とは性質が大きく異なるものとなるはずだ。核や生物兵器、遠隔操作によるロボットでの攻撃など最新のテクノロジーを駆使したものとなるであろうことは明らかであり、それが起きれば世界の人口は急激に減り過ぎるか、それ以前に、人類から先の未来に繋げていくうえで地球環境や生態系全体が致命的ダメージを受けるのではないか。そうなってしまったらもう、人類の次の生命体が誕生する可能性も潰してしまうことになり兼ねない。だからそれだけは阻止しなければならないかと思う。

また、これまで人類は伝染病の流行によっても人口が減ることはあったが、医療技術の進歩により伝染病もかなり治せるようになっていくだろう。だからこれまで同様に伝染病が人口増加の防止に貢献するとは言えないし、また病気による人口の減少も大変な苦痛を伴うものなので出来る限り避けたい。

では、平和的に世界の人口を減少に向かわせるにはどうしたら良いのか。

そのためにはまず、地球上の人口が増加している地域のなかで、教育が行き届いておらず現在世界の人口が増えすぎているという問題を知らない人たちに、その現実を伝え、教育を与えることが必要だと思う。

また、人口増加の防止に繋がる法律を設けることも有効だろう。ただその場合には同時にそこから新たな問題が派生することもあるので、慎重に考えなくてはならないが。過去に取り組んだ例として中国の一人っ子政策が挙げられると思うが、その場合は二人目が生まれた場合の人身売買の問題が生じるとか、あるいはインドの不妊手術については人道的問題が生じるなど、何らかの問題が付随してしまうことがある。ただ、人口が増加し過ぎているのなら、何かしら人口増加への対策を考えるという姿勢自体は必要であり、その対策を講じる何らかの手段は考えなくてはならないのが現実だろう。だから方法の如何については別としても、人口が増えている国が、自国の人口増加を自ら危惧して対策を考えるのであればその姿勢それ自体は素晴らしいと思う。

恐らくどんな方法を取っても、その方法が良いかどうかは意見が分かれる所だろう。だから人口を減らす対策としてどんな手段が正しいのかということについては何とも言えない。ただ私は、「人口が増え過ぎているのなら何かしら人口増加を抑制する方法を考えなくてはならない」と思うということだ。

それから、人口を増やす可能性の無い人を尊重する意識を社会全体が持つことも必要ではないかと思う。

例えば「子孫を残す意思がない人」。これは人口増加の抑止に直接繋がる。子供を望まない人を、子供を生み出す人と同様に尊重するという意識を持つことも有効なのではないか。

あるいは近年、LGBTをきちんと認識しようとする動きが目立っているが、「同性愛者(そのうち自分の遺伝子を受け継ぐ子供を持とうと思っていない人)」も、自らが人口を増やす可能性はない人たちなので、そのような人を「世界の人口の減少に貢献する人」としても尊重するべきなのではないかと思う。

また「自殺した人を責めない意識」も必要ではないかと思う。その人たちは、自らが人口を増やす可能性を自ら完全に根絶したということでもあるのだから、人類の数が増え過ぎている現在の地球に於いては、全体のバランスを取り戻すことに貢献しているのだ。現在命があって自殺を考えているという人には、せっかく与えられた命なのだから生きてほしいと言うのは当然のことかと思う。ただ、もう既に自殺している人に対しては、その行為を非難したところで命が戻るわけではないから、それはそれとして尊重するほうが建設的なのではないかと私は思う。

近年、自殺者の増加が問題視されている。確かに、特に人口が減少している国で若年層の自殺者が多いのは大変な問題だ。ただ、自殺した人は世界規模では人口の減少に貢献しているから、もう既に自殺している人に対してはその点で尊重の念を持っていたい。

「知的生命体が文明社会を築き、ある程度まで発達した時、自殺者が増える」というのにも、何か自然の摂理が働いているのではないかと思う。地球でいま自殺者が増加しているのなら何か理由があるはずだ。だから、いま生きている人の自殺は決して勧めないが、既に自殺した人の判断を一概に否定したいとも思わない。

誤解のないよう付け加えたいのだが、私は決して自殺を推奨しているわけではない。それでは平和的解決にはならないから。ただ、知的生命体のなかに一定の割合で自殺者がいることにも何かしらの理由があるのではないかということ、そしてそれは人口増加の抑制に関係しているのではないかと思うということ。そして私は決して、子孫を残そうとする人を否定しているわけでもない。なぜなら人類の皆が皆、子孫を残さなくなったら、人類がいなくなってしまうのだから。そしたら人類から先の未来を作る人もいなくなってしまう。だからある程度は必ず、子孫を残す人たちが必要。つまりバランスの問題だ。人口が増え過ぎているからバランスが悪い、だから少しずつ減っていかなくてはならない、だから減ることに貢献する人は必要だ、でも完全にいなくなってしまってはいけない、ということ。




◆人類の次を担う存在へ

地球上では微生物に始まり、しばらくして魚類が登場し、両生類、哺乳類に至り、その中で現在はサルからヒトの段階まで生命の歴史が育まれてきた。では、ヒトの次に来るのはどのような存在なのだろうか。

ヒトの次に来る存在は、何らかの形でコンピュータと生命体を接続させたような、もしくはコンピュータを埋蔵したような、コンピュータと生命体が合体した半人工半天然の存在となることが好ましいと私は思う。つまりコンピュータと生命体のハイブリッドのようなもの。そうなるためには新たにそのような生命体を作らなくてはならないので、遺伝子情報は意図的にデザインされたものであって良いと思う。その意味では人工的な生物。でもアンドロイドやロボットではない。全体として有機物であり寿命を持った生命体であるようなもの。でも脳や身体の機能の一部がコンピュータで出来ている、もしくはコンピュータによって拡張されていたり、コンピュータと接続されていたりするもの。そのようなものが人類の次に来る存在として相応しいのではないか。

ここで言っている「生命体である」というのはどういうことかと言ったらまず、「いつか死ぬことが不可避である」ということ。私がここで言っている生命体に最低限必要な要件はそれ。寿命があるということ。一般的に生命の要件としては「自己複製ができること」などが挙げられると思うが、ならば機械であっても自己複製できればそれを生命体と呼ぶのかと言ったら私は、もしその機械が「いつか死ぬ」という運命を持っていないのならそれを生命体とは思わない。

それと、どうして人類の次を担う存在が、ロボットなど命を持たないもの、つまり存続する上で死の危険性を伴わないものではなく、生命体であったほうが良いと思うのかと言ったら、それは、もし他の天体にいる知的生命体と何らかの形で交信できるか又は互いの存在を確認できた際に、互いに生命体の状態であったほうが好ましいと思うからだ。

どちらかがロボットでどちらかが生命体という状態になってから、ロボットの側が長期間かけて他の天体にいる知的生命体を探し当てても、それはあまり感動的なことではなく、宇宙の何処かでは普通に起きておかしくないことに思えるから。それは例えば我々知的生命体がどこか他の天体を探査した際に、そこに過去にいたかもしれない微生物の痕跡を発見するようなことと、あまり変わらないような気がするから。

それより現在知的生命体である者同士が、もしくは知的生命体とコンピュータのハイブリッドのような者同士が、互いに生命体である状態を確保したうえで「生きている」状態で出会えたほうが、もしくは出会えるまでは至らずとも互いの存在を何らかの形で察することができれば、そのほうが遥かに奇跡的で、宇宙の中で起き得る出来事として貴重なものと思うから。

将来的に全人類を足しても及ばないくらいの超知能のようなコンピュータを作って、そのコンピュータと個々の生命体の脳とを接続させられれば良いのではないかと思う。個々の生命体の脳にそのコンピュータを埋め込むことができればそれでも良いかもしれないが、そうするにはコンピュータが大きすぎるとか、埋蔵できるほど小さくするには熱くなり過ぎるとか時間がかかり過ぎるなどの問題がある場合には、そのコンピュータが世界に一つだけ、もしくは数箇所に点々とあるだけでも、そのコンピュータと個々の生命体の脳が無線で繋がっているような状態になれば、その個々の生命体全員が、全人類を足しても足りないくらいの超知能を持った状態となることが実現可能なのではないか。

そうなれば、その生命体たちで宇宙を解明しようとしたり現在の科学で分かっていない問題に取り組んだりしたら、格段に科学が進むのではないか。そして宇宙全体の歴史の中で次の段階へ突入できるのではないか。

皆の脳を一つのコンピュータと接続し、実質上、一つの脳を共有する状態となった場合、プライバシーやセキュリティの問題が生じるだろう。なぜなら皆で同じ脳を共有してしまうと、その脳というか超知能コンピュータの中の情報が筒抜けとなりそれぞれのプライバシーが守れなくなるから。ならば、皆で共有する脳と、自分だけの個別の脳を分ければ良いと思う。

コンピュータで人工的に作った超知能のような脳は「コモン・ブレイン」のような形で皆で共有し、その他に生命体が各々に持つ「インディヴィジュアル・ブレイン(パーソナル・ブレイン、ドメイン型ブレインと言っても良いかもしれないが)」みたいなものの領域を確保すれば良いのではないか。あるいは、それは「グローバル・ブレイン」と「ローカル・ブレイン」と言っても良いかもしれない。現在のパソコンに例えれば、内蔵のハードディスクと外部メモリのような関係が似ているかもしれない。コンピュータ自体に入り、そのコンピュータを使う人全員で共有できる情報と、それとは切り離された個々のメモリに入り、他の人は見れない情報の両方がある状態ということ。

例えば、思考力、理解力、洞察力など、ものを考えたり理解したりする上で必要な基本的な知能に関しては、その超知能コンピュータのようなコモン・ブレインに接続してその脳を使い、自分が経験したことなどは個別の記憶領域に収められるなど、役割分担をすれば良いのではないかと思う。

そうすれば、個々の生命体のセキュリティは守られつつ、皆が最高レベルの脳で考えることができるということになる。そうなれば最速で個人の思考が進み最速で他者とのコミュニケーションが成り立つこととなり大変に効率が良く、今の科学や地球の歴史が次の段階に進むに当たって理想的なのではないか。

そして、もし人類の作った存在が宇宙を理解しきれなかったら、人類に作られた存在がまた更に自分たちで次を作れば良い。人類までは自然の産物としての生命が受け継がれてきたわけだが、そこから先はどんどん、作られた存在がまた次の存在を作るという具合に人工的に進化すれば良いのではないか。そうなれば、そこからは永久にアーティフィシャルな世界。生命は自然に誕生するものではなく、他の生物によってデザインされ生み出されるアート。芸術としての生命。そうなれば未来には、人類から派生し人類以降に発生するすべての生物がアートとして存在するような世界が待っているのではないか。もしくは生命でなかったとしたら生命的なロボットでも良い。いずれにしても意図的に作られるアーティフィシャルなものの世界が広がるのではないか。だから人類はナチュラルな世界とアーティフィシャルな世界の接続点にいるのだと思う。




◆地球以外の知的生命体との出会いに向けて

ひとまず、宇宙人と会うことが知的生命体の現段階での最終目標なのではないかと私は思っている。(本文で「宇宙人」というのは、地球以外に住む知的生命体を指すこととする。)

なぜならそれが、宇宙が始まって知的生命体の誕生まで辿り着いた後、宇宙の歴史のなかで次に起きるべき必然だと思うから。今までの宇宙の歴史のなかで、いくつもの欠かせない出来事があり、我々知的生命体の誕生まで至った。宇宙が始まって光子が激しく行き交ったことはとても重要だったと思うし、水素やヘリウムが充満したことも重要、そして天体が誕生したことも、銀河が誕生したことも重要。そしてその夥しい数の天体のなかで、ごく稀に生命が誕生できる環境の整った天体があり、そこで生命が誕生したというのも重要で、更にごく稀にその生命が進化し知的生命体まで至ったというのも重要。そこまでがとりあえず、地球にいる我々が把握できているところ。

では、その次に宇宙で起きる重要な出来事があるとすれば何なのかと考えたら、「その知的生命体が他の異なる知的生命体と出会うこと」なのではないか。

宇宙には、ときどき起きるべき必然のようなものがあると思う。この次に起きる必然はそれなのではないかと私は思っている。

もし、どこかの天体の知的生命体が既にそれを果たしているのであれば、地球にいる我々がそれを果たさなくとも宇宙の歴史は我々のその先のステップを踏んでいるのかもしれない。しかし我々には今のところそれを確かめる術がない。

ならば我々地球の知的生命体が、それを果たすべく次の段階へと進むべきなのではないか。我々と異なる知的生命体に出会える可能性は非常に低くとも、僅かでも「このあたりにいる可能性がある」という手掛かりを掴むことくらいなら、叶う可能性もあるのではないかと私は期待している。

今の科学の見解では、地球の寿命が来るまでに他の知的生命体と出会える確率はほとんど0に近いらしい。でも、昔は地球以外に知的生命体がいる可能性自体、否定されることのほうが多かったのに、今の科学では宇宙のどこかにはいてもおかしくないと考えたほうが自然であるという結論に至っている。少なくとも全面的に存在の可能性が否定されているわけではない。とすれば、単純な考えかもしれないが、今の科学では他の知的生命体と交信できる可能性がほぼ無いと判断されていても、将来の科学の見解は変わるかもしれない。

実際、ごく最近、地球に似た環境の天体も複数見つかっているのだから、そのような天体を出来るだけ多く見つけて調査できれば、もしかしたらその中に知的生命体がいることを確認できるという日が来るかもしれないではないか。また、これまでは太陽のような恒星の周りを回る惑星をターゲットに探していたそうだが、今まで視野に入れていなかった赤色矮星の周りにも生物が生存可能な環境を持つ星はかなりあるのではないかと見られている。

そして、もし他の知的生命体との交信の実現が地球の寿命が来るまでに間に合わなかったとしても、それに向けて技術が進めば必ず「生命体が宇宙を理解する」ことには繋がる。そちらのほうが他の知的生命体に出会うよりも前に訪れるべき必然なのかもしれない。

この宇宙に知的生命体が誕生した理由は、私は「知的生命体という存在が、この宇宙を理解するために必要だから」だと思っている。「この宇宙が理解されるために知的生命体が必要だったから」ということだと思う。でもそれは、知的生命体本人たちが理解するということに限らない。最終的には、知的生命体によって生み出される他の何らかの存在によって宇宙は理解されるのだと私は思っている。

知的生命体の誕生は、たまたま宇宙の中で起きたことであって理由も何もあったものではないかもしれないが、知的生命体の側から捉えるとそうなるのではないかと思う。

宇宙が誕生し、そして「宇宙の中で誕生した何らかの存在に宇宙の側が理解される」ということが、最終的に宇宙で起きる最大の必然なのではないかと思う。そこまでは現段階からはあまりに程遠く果てしない未来のことのようにも思える。だけれど、我々地球の知的生命体がそれを直接実現できなかったとしても、もしかしたら我々人類が生み出す次の存在が実現する可能性はあるのではないかと私は思っている。

私は、宇宙全体に働いている「全体の均衡を保つエネルギー」のようなものがこの宇宙の神様だと思っている。それは目に見えない何らかの力で、宇宙全体にも個々の天体にも、我々一人一人の身体や精神にも働いているもの。宇宙の根本に何かそのような仕組みがあるのだと思っている。それは私の言葉で表せば「均衡を保とうとするエネルギー」だが、恐らくそれもいつか科学で解明できるものなのだろう。現時点では宇宙について、まだ分かっていないことが膨大にある。ここまで地球で知的生命体が科学を進めても、宇宙について分かっているのはまだ一部。だから、ここから先は我々人類だけではなく、人類が新たに宇宙を解明できるような生命体やコンピュータを自ら設計し、その存在に宇宙を理解させる時代だと思う。

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「人類から先の未来が今の人類に懸かっている」、そんなことは当然だと思う人もいるだろう。私より遥かに、人類の先を人類が作っていくことの必然性を感じている人もいるはずだ。そういう人からすれば、人類がどれほどの役割を担っているかなど明白なのかもしれない。これからの人類がこの天体の未来にとってキーになるであろうことなど、当たり前のことと思うかもしれない。あるいは全くそう思わない人もいるだろう。大切なのは、どう考えるとしても一人一人が人類の先について考えることなのではないか。

ここに記したことは飽くまで私が思う地球のフューチャービジョンでしかないので、人によってもちろん思い描く未来像は異なるだろう。しかし、いずれにしても今の人類が、未来の地球を左右する大きな鍵を握っていることだけは確かだと私は思う。

今、地球の生命体は大きな転換期を迎えている。今後の生命体がどのような未来へ向かっていくべきか、地球上の最先端の生命体である人類の一人一人が考えるべき時が来たのではないだろうか。








◇目的の経路


・宇宙で次に起きる必然が起きること、則ち宇宙人に会うことが必要。会えなくとも何らかの交信ができればそれは宇宙の歴史のなかでの大きな一歩となる。

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・そのためにはそれを実現させられるだけの高度な技術が必要。また、そのためには宇宙をより解明しなくてはならない。そのためにはその技術を生み出す高い知能が必要。

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・そのためには人間では足りないので、それを実現できるような次の生命体もしくは次の何らかの存在を人間が作る。(その存在は完全なロボットではなく、ロボットの要素が混在したとしても生命体であることを維持している存在であることが好ましい。)

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・そのためには人間が、次の存在へと進むための意識を持つことが必要。

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・そのために私はこのような自分の見解を表明している。





◆お読みくださったかたへのご挨拶

結局のところ宇宙人に会いたいという、アホみたいなことを大真面目に書いてほんとすみません。 そして様々な私の勘違いや分かっていないこと、認識不足、自分の盲点に気づいていない部分などがありましたらほんとに勝手なことを言ってすみません。 お読みいただきましたこと、心より感謝もうし上げます。


2017年9月 間アイ



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