地球の寿命は、あと17億5千万年ほどだと言う。それまでは地球に生命が住めるらしい。その後も地球自体は存続するようだが、生命が住める環境ではなくなる。
ならば今後の17億5千万年の歴史が、ここ数十年の人間の行動に懸かっているのではないか。そう思っている人がどのくらいいるのか分からないが、本当に真剣に私は、ここ数十年の人間に懸かっていると思っている。人類から先の未来を閉ざすも開くも、今の人類の行い次第なのではないか。
小さなバクテリアに始まり、この地球で39億年程も前から生命の歴史が続き、せっかくいま知的生命体という段階まで辿り着いたのだ。ならばその生命体の歴史、地球の歴史を受け継いだ者として、確実にこの先の未来を切り開くことが人類の使命なのではないか。ここから先の未来を作るのは人類だ。そのためには、人類は人類の先を重んじなくてはならない。人類が人類のために存在しているという状態では実現不可能なのだ。もう人類は人類の存続を目的に存在しているのではない。そこから続く新たな未来を作る為に存在しているのだ。
今や人類は、自らの意思で生命を操作できる段階にまで達した。また、機械を使って生命の機能を拡張させることもできる。ならば人類の次を担う存在を、自らの意思で設計することもできるのだ。人類が人類を改変し、次の地球の未来を担う存在を自ら作り出すことも可能なのだ。それをやるかやらないかは別として、技術的に可能だということだけは言えるだろう。
もう人類が人類を第一に考える時代は終わった。自分たちよりも自分たちの次の存在を優先に考える時代が来たのだ。例えば、もしこの宇宙全体の歴史の流れから見て、あるいは地球の生命全体の歴史から見て、私という個体が淘汰されることが必然であるならば、私は明日死んでも全く構わない。この知的生命体の歴史が、きちんと行くべきところへ向かうことが私の何よりの望みだから。
新しい技術が登場し、それを用いる我々の行いについて善悪の判断を下すとき、「それは我々人類にとって善いことか」とか「我々が生き延びるために役立つか」とか「我々にとって得か」ということを基準にして判断するのではなく、未来の世界にとって、この地球全体の歴史にとって「どうなることが必然なのか」という基準で判断するべきなのだ。
「人類にとって正しいこと」と「地球の未来にとって正しいこと」が異なる場合は、迷わず「地球にとって正しい」ほうを選ぶべきなのだ。知的生命体が自分たちで生命や地球環境の一部を操作できる段階に来たらもう、自分たちではなくその先を基準に考えなければならない。人類という自分たちの種族の範囲内ではなく、地球の生命全体や我々を取り囲む環境全体、この先も続く地球の歴史全体を基準に考えなければならない。今その段階まで来ている。そういう時代に突入してもなお人類という自分たちの種族を第一に考え、人類が人類の存続や繁栄を目的に生きていたら、その先が続かなくなるだろう。
生命体を操作できるなど、他の生物や地球全体に影響するくらいの技術を獲得するほどに知的生命体は進歩した。そこまで来た時、自分たちが手に入れたその技術を自分たちだけのために使ったら、必ず歪みが生じて自分たちが破綻するだろう。そうなれば、自分たちだけでなく他の生物や生態系全体に影響が出るであろうことは明らかだ。それだけではなく我々人類から続いたかもしれない未来の何らかの生命体が誕生する可能性も奪ってしまうこととなる。だから、今の人類の行いに懸かっているのだ。
もう未来のことを本当に大切に考えなければ、そして我々知的生命体が背負っている役目について考えなければ、いつか人類は自分たちが原因で破綻し、そのせいで自分たちから続いたはずの未来も壊し兼ねない。地球の知的生命体はちょうど今その岐路に立っている。どちらの道を辿るのか問われているのだ。そのことをまず我々が自覚しなくてはならないだろう。
我々は、地球の生命の歴史の最先端に立っている。ということは、そこから更に次に繋げていく責任を負っているということ、人類の次を担う未来の存在に繋げていく役割を担っているということなのだ。
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私は人類を存続させることよりも、早く人類から先へ進化したい。もう人類は700万年も続いているのだから、もうそろそろ次の段階へと進化しても良いのではないか。そして実際、近年の科学技術は目覚ましい進歩を見せ、生命さえも我々生命自らが操作できるほどになったのだから、次の生命体への道が開けるのも時間の問題なのではないか。またコンピュータの性能も高まり、まだまだ人間の脳を再現するほどには至らずとも、将来的に全人類の知能を足しても足りないくらいの超知能のようなものを作るということが、夢のような話ではなく現実味を帯びてきている段階にあるのではないか。だから、ここ数十年で乗り越えられることは非常に多いだろう。ここ数十年の間に、人類とその次の生命体との距離は一気に縮まると私は確信している。
ではその際、何が必要なのかといったら、我々人類の意識の改革ではないかと思う。技術的にはもう、人類を次世代の存在へと繋げられるくらいの革命が起きておかしくないレベルまで達しようとしている。でもそのような未来の新しい段階に突入する時に、我々人類の意識がいつまでも人類世代のままでいると、地球での生命の歴史はスムーズに次の段階へと進めないのではないか。ここで我々が間違った行いをしたら、ここまで積み上げてきた生命の歴史が一旦途絶え、知的生命体から先へ繋がったかもしれない未来を永久に失うこととなるのだろう。ここで我々人類が、きちんと人類の次を担う存在へとバトンを受け渡す心構えをしなくてはならないと私は思っている。
今はもう、その準備段階に入っているのではないか。だから人類は今、「人類のために何ができるか」よりも、「人類の次の存在へ無事に繋げていくために何ができるか」を考えるべきだろう。
今の、遺伝子を操作する技術や人工的に知能を作ろうとする技術は、人類のためではなく人類のその先を作るためにあるのだと私は思っている。今は人類のためにあるように見えても、そして実際にそうだとしても、それは最終的には我々人類の豊かさや便利さのためではなく、人類より先へ進むために必要だから必然的に現れたものなのではないか。知的生命体がある程度の段階まで発展したときに獲得する、自ら生命や知能を操る技術は、知的生命体がその次の存在を作るために登場するのだと私は思っている。
現在そしてこれからは第三次産業革命や第四次産業革命の時代と言われているけれど、より遠くから我々の状況を眺めると、今それよりも更に大きな革命が起きようとしている最中にいるのではないかと思う。もし我々人類が人類のテクノロジーを使って人工的に次世代の生命体もしくはそれに代わる何らかの存在を作ることができたなら、それは地球の生命の歴史に於いては第一次の革命であり、それは一回しか起きない大きな革命であると思う。それは天体で生命が誕生し育まれた場合に、一つの天体につき一回しかない瞬間。そうなるとすれば第何次産業革命どころではなく、この地球全体の歴史にとって非常に大きな転換期となるだろう。
なぜならもしそうであれば、地球の生命はこれまでは自然に進化してきたわけだけれど、ここから先は人工的に生命を作る、もしくは人工的に生命を改変する、もしくは生命でなくとも人工的に次を担う何らかの存在を作る、そしてその「作られたものたち」が新たな歴史を生むことになるのだから。
地球上での生命の歴史を振り返ると、微生物から猿そして人類までは自然な流れで誕生してきた。それは宇宙の摂理に身を任せた結果であり、生命体の側が自らそれに手を加えて出て来たものではない。そこまでが、生命の歴史における第一回目のフェイズであると私は思う。それは自然な流れによって育まれる歴史。そして知的生命体まで至り、ある段階に達すると、そこから先は意図的に生命体が自ら先を作ることとなるのではないか。そこから生命体の歴史は第二のフェイズに入るのだと思う。
恐らくどこの天体で生命が誕生したとしても、知的生命体まで至ったら、ある程度の段階まで来たとき自らが生命を操作できるようになり、そして新しい生命を作ったり自らを自らの力で改変したりできるようになるのではないか。するとそこから必然的に、自分たちの次を担う存在を自分たちで人工的に作ることとなるのではないだろうか。
地球では人類がまさに、その自然のフェイズから人工的なフェイズに転換する際の契機を作る存在なのではないか。
生命の長い歴史のなかで、その意味で人類は大変誇らしい位置にいると私は思う。人類までは完全に自然な成り行きで生命の歴史が編まれ、そして人類から先は人類の技術をきっかけに新たな歴史が始まるのだから。人類が、ここからまた長期間続くであろう地球の歴史のきっかけを作れるのではないか。人類の次の存在が、次の時代の幕開けとなるのだろう。
そしてその人類の次を担う存在は、人類によって何らかの人工的な手を加えられた新しい生命体か、もしくは生命体とコンピュータのハイブリッドのような存在となるのが相応しいのではないか。それが未来の地球上で最先端の存在となり、人類の次を担うのだろうと私は思っている。
今、人工生命や人工知能や人工的に身体の機能を拡張させる技術などがあるけれど、将来的にそれらの技術を全て結合させて、人間とは違う新しいタイプの生命体を開発すれば良いのではないか。生命体ではあるけれど、知能の基盤はコンピュータで出来ているとか、身体を持っているけれど身体の機能はコンピュータで自在に変更可能であるとか。それが人類の次に来る存在として相応しいか否かは別としても、とにかく今の人類が何らかの形で人類の次の未来を作っていく重大な役割を担っているということだけは確かだと思う。
いま人類は、地球での生命体の歴史を人類から先へ進めるのか、それともここで一旦途絶えさせるのか、その岐路に立ち、どちらの道を辿るのか試されているのではないか。きっとどの天体で知的生命体が発生したとしても、その先が試されるのではないかと私は思う。
どの天体で知的生命体が誕生したとしても、その生命体たちが自ら新たな次の存在を作ることになるというのは変わらないのではないかと思う。それは宇宙で起き得る現象として普遍的なことなのではないか。なぜなら知的生命体まで至って暫く進歩したなら、その生命体たちは何かしら生命を操作する技術を獲得したり、自分たちより先に進む方法を自分たちで作れる段階に至るだろうから。知的生命体まで至って何百万年もすれば、それだけの知能を獲得する日が必然的に訪れてもおかしくはない。
ではそうなった時に何が必要なのか。私はその時点まで来たら、それまでの生命体とは全く違う意識が必要になるのではないかと思う。私たち地球の生命体は、今まではそれぞれが、自分たちが生き残ることを優先させ、自分たちの種族を絶やさないことを目的に生きる「自分たちのための生命体」だったけれど、ここからはそれと全く違う姿勢が必要なのではないか。知的生命体はもう、自分たちのためにいるのではなく、未来の地球の歴史を切り開くためにいるのではないか。それならば自分たちの繁栄や自分たちの生き残りよりも、未来の存在を開拓することを優先させるべきだろう。自分たちの技術を自分たちだけのために使うのではなく、自分たちの先へと繋げていくことを第一に考えるべきなのではないか。
我々の命に限りがあるのと同じように、地球の寿命は限られている。その間に進めるところまで進めないと、知的生命体から先に進めた場合の宇宙の必然に出会えなくなる。私が人類の先へ辿り着けなかった場合のことを危惧しているのはそのためだ。
この宇宙の歴史の中で起きる重大な出来事が何かと考えてみたら、まず宇宙が誕生して膨大な光子や電子や中性子などがぶつかり合ったことは重大な出来事だったと思うし、その後、水素やヘリウムの原子核が出来たことも、ずっとしばらくして星が誕生したことも重大だったと思う。そして夥しい数の天体が誕生し、銀河が形成され、その内でごく稀に微生物のような初代の生命が誕生した天体があり、その内でまたごく稀にその生命が発展し、またごく稀に知的生命体まで達するというのが、宇宙の中で起き得る必然の数々だと私は思う。
では、その次に有り得る必然は何かと言ったら、それは、その知的生命体もしくはそこから繋がる新たな存在が「宇宙を理解すること」なのではないか。そして延いては「他の天体に存在するかもしれない知的生命体と交信すること」であると私は思っている。つまり宇宙を解明し、他の宇宙人と出会う、もしくは互いの存在を認識すること。
そのためにはスムーズに生命の歴史が進まなければならないのだ。そうしなければ、宇宙で起き得る次の必然との出会いに成功しない。
人類がいつまでも人類の利益を重んじ、人類を最優先に考えていたのでは生命体の次の変革は実現しない。それどかろか人類自身が破綻するだろう。そうなれば生命の歴史自体が途絶える。
宇宙のどこかには、過去にそうなった天体もあるのかもしれない。知的生命体まで辿り着いたけれど、その生命体たちが自分たちで自分たちの未来を潰してしまったというようなケース。一方で知的生命体から先への道を上手く切り開き、この一回しか起きない革命を無事に乗り超え、次の段階へ突入できている天体もあるかもしれない。どこまで行けたかは個々の天体によって違うだろう。生命が誕生しなかった星、生命が誕生して微生物までは生まれた星、知的生命体まで至った星、そこで生命の歴史が途絶えた星、そこからまた次の新たな歴史が始まった星・・・、我々から見えていないだけで様々なパターンがあるのではないだろうか。
我々は今のところ地球のことしか分からないのでそれは計り知れないけれど、我々地球の知的生命体はちょうど今、試されているのだと思う。その期間の始まりがここ数十年なのではないかと私は思っている。ちょうど今、人類が人類の次を担う存在へと向かう第一歩を踏み出し始めたとき。サルから人類へと進んだ時代で言えば、ちょうどやっとサルが、合図としての言葉とも言えないような原初的な言葉を編み出し始めたような時だと思う。もうすぐ生命体は次の大きなステップへ踏み出すだろう。今が、新しい生命体の歴史が始まる夜明けの直前なのではないか。
だからここで失敗してはいけないのだ。いつまでも「人類のため」とか「それは人類の幸せのためになるか」とか「人類にとって何がプラスなのか」とか「人類が存続するために」などと言っていられないのだ。
今こそ人類は、今の地球上の最先端にいる生命体として、無事に人類の次の生命体もしくは次の何らかの存在へと橋渡しをする責任を果たさなくてはならないという意識を強く持つべきなのではないか。特にここからの数十年は。人類が人類という自分たちの種族を最も重んじた行動を取っていても問題なかった時代は終わったのだから。
人類はもう十分に繁栄した。それどころか今や人類は増えすぎている。生態系全体のバランスを考えたら、明らかに人類の数は多過ぎて生物全体のバランスを崩す原因となっているように思う。これ以上増えたのでは持たない。人類の数はもうかなり限界に近い。ここまで来たら、もう次のステップへ向かうのが必然だろう。
地球の寿命は限られているから、無事に次の段階へと進めなければ、我々地球の生命体は次に起きるはずの宇宙の必然に出会えないのだ。つまり宇宙を理解し、そして宇宙人とコンタクトを取ることに間に合わないのだ。もし他の天体に知的生命体がいたとしても、地球が存続している間に他の天体の知的生命体と出会うのは遠すぎてほぼ不可能であると今の科学は言う。でも、出会うことまではできなくとも何らかの方法で互いの存在を察知するくらいまでは行けるかもしれないではないか。私はそこに心から期待している。なぜならそれが、この宇宙で起きるはずの次の必然だと思うから。
そのためには我々人類では足りない。人類が次の新しい生命体もしくは次の何らかの存在を作り出さなければならない。その人類の次の者たちに委ねなければ先に進めないように思う。人類だけでもある程度は進められるとしても、人類よりもっとずっと速く進められる何らかの存在を人類が作ったほうが早い。そのためには、人類は人類の存続を最優先に考えるのではなく、人類のその先へ進むことを第一に考えなくてはならないのではないか。私たちはもう人類の未来ではなく、人類の先を含めた、この地球全体にとっての未来を求めなくてはならない。
人類はこれまで人類を第一に考える、いわば人類ファーストの価値観で自分たちの文明を発展させてきたように思う。そして常に現在の自分たちの豊かさを重んじて現在を大切にしてきたように思う。それは生物なら当然のことだろう。どの生物であれ、自分たちの種を守り繁栄させていかなくてはならないのだから。猿は猿ファーストで良いのだし、鳥は鳥ファーストで良い。蛙は蛙ファーストで良いし、魚は魚ファーストで良い。そして未来のことより現在を生き抜くことのほうを優先させるのも当然だ。そうしなければ生き延びて行けないのならば。でも、次の存在へと向かう過渡期にある今の人類は違う。人類はもう、自ら命を操作し意図的に改変できるような技術、生態系全体、地球環境全体に影響し兼ねないような技術を獲得したのだ。ということは人類は、人類に留まらず生物や環境全体に対する大きな責任を負っている。その状態で人類が自分のことを最も優先に考えたのなら、全体が破綻してしまう。だから現在の人類はもう人類を第一に考えるわけにいかなくなったのだ。
人類は、地球ファーストでなければ。そして、現在ではなく未来ファーストでなければ。それが、この宇宙が始まってから知的生命体の誕生まで至ることができた数少ない天体にいる者としての責任なのではないだろうか。
人類が他の生物と違っている点は、未来を見据えることができること、未来のために行動を起こせること。そして自分たちの視野のみから主観的な見方をするだけではなく、自分たちを越えた視点から自分たちを客観視し、自分たちを取り囲むもの全体を俯瞰できるということ。それが人類の持つ特性、人類らしさの最たるものだと私は思っている。今、これまでの人類の歴史のなかで最大限に、人類の人類らしさが発揮される時なのではないだろうか。
そしてそれらの特性は、恐らくどの天体で生命が誕生したとしても知的生命体まで至ったときに発生する特性なのではないかと思う。それは、宇宙が次の必然に出会うために必要だから必然的に芽生えるものなのだろう。宇宙が理解されるためには、生命にそのような特性が宿ることが必要だから。
自分たちよりもその先の他のものを優先する考え方になったとき、知的生命体は次のフェイズに進むのではないか。今がまさにその時であると私は思う。
自分たちにとっての正しさより全体にとっての正しさを、現在の視点から見た正しさよりも未来にとっての正しさを重んじたとき、宇宙の生命に次の新たなステージが開かれるのではないだろうか。
人類に未来を与えることが人類の目的なのではない。この地球の生命の歴史全体に未来を与えることが人類の役目だ。人類は、人類から先の新たな歴史を切り開くためのスタート地点なのだ。
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では、無事に人類から次の存在へと進むために必要なことは具体的に何なのだろうか。以下、重要なポイントと思う点を挙げていく。
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