葬法を本人の意志で決められるようにしてほしい。日本では火葬だけれど、本人の意志に関わらずみんながみんな火葬と決められているのは私にとっては辛い。というかそれは、人としての権利を尊重していないように思うから。
私は死んだらぜったい、人間以外の生物たちの栄養になりたい。そうなる事しか考えられない。だって自分がそれまで他の生物の命を食べて生きてきたのだから、その分、自分も他の生物たちの生きる糧になって、命を維持するためのエネルギーを循環させたいもの。
特に私は鳥をたくさん食べているから、鳥に食べてもらいたいなあ。あとは魚も好きだから、魚に食べてもらってもいいし。それって普通に考えたら当然のことかと思う。「鳥を食べて今まで生き延びたから、自分も鳥に食べてもらう」とか「魚を食べて生き延びたから、自分も魚に食べてもらう」って、至って当たり前のことだよね。そうすればフェアだと思う。私も自然の大きな営みのなかにきちんと組み込まれたい。その一端を担いたい。
自分が死んだ後の自分の処理については、本人のことなのだから本人の考え方に基づいて決めるのがいいと思う。死んだあとのことくらい、本人の思想を尊重してもいいよね。
そういう本人の意思を無視して法律で葬法を規制するのは、理想的なことではないと思う。
まあ、何でも良いことにしてしまうと疫病が流行るなどの問題が起きるから、絶対に他の人に迷惑がかからない形にしなくてはならないけれど、もっといろんな埋葬の仕方を認めて、それぞれに、その埋葬用の場所を規定して、そこでしかその埋葬法はやっちゃいけないなどのルールを作れば大丈夫なのではないかなあ。
火葬がいい人は火葬、土葬がいい人は土葬、私みたいに他の生物に食べてほしい人は他の生物に捧げる、そういう感じでいいんじゃない?
人間は、生物の一員であり自然環境の一部でありながら、自然環境から自分たちを切り離し過ぎたと思う。自分たちだけ別枠にするのが当たり前という意識になってしまったと思う。私は生きている間、ほとんど人間だけの世界のなかで、人間だけのために他の生物と区別されて作られた都市の生活を送った分、死んだ後くらいは自然と一体化して、地球の自然全体の営みに濃く参加したい。
2018年9月 間アイ
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