均衡主義

21世紀現在、神様はどこにいるのだろうか。「神様はもういない」、そう考える人もいる。人間が神様に代わったのだろうか。 いや、私にとって神様はたしかに存在している。私は、あらゆるものの「均衡を図るエネルギー」が神様だと思っている。

それは宇宙全体に働いていて、銀河系同士の間にも、個々の天体にも、生物のなかにも、人と人の間にも、物質と物質の間にも、人間の身体にも精神にも、一つ一つの原子にも働いているようなもの。あらゆる部分にあって、全体のなかにもあって、あらゆるものの間にもあるもの。それぞれが自分自身の内でバランスを図ると同時に他のものとのバランスも図るようなエネルギー。常に全体の均衡と個々の均衡と、それぞれの間の均衡を保とうとしているエネルギー。それが宇宙の根本にあると私は思っている。だからそれが宇宙全体の神様だと思っている。

惑星が恒星の周りを回っているのも自分自身で回っているのも、バランスを取ろうとする力が働いているからだろう。止まってしまうわけにいかないから。 銀河同士が引き寄せ合ったりするのも、宇宙のなかにバランスを取ろうとする力が働いているからなのだろう。すべてのものに、その均衡を図るエネルギーが宿っている。原子のレベルで言えば、何とも結び付いていない電子があれば他の電子と結び付いて安定した状態になろうとするわけだが、それもバランスを取ろうとしていると言えるのではないか。バランスを取ろうとする力は、ものと他のものとの間にも、それ自身の中にもある。天体同士の間に働く力ならそれは引力と呼ばれるだろうし、人間ひとりの中にある均衡を保とうとする力ならばそれは自律神経と呼ばれるものかもしれない。とにかくそれが失われたらバランスが崩れてすべて成り立たなくなってしまうようなもの。

昔々、ギリシャの哲学者たちが、万物の根源は水であるとか火であるとか数であると語っていたが、私の場合はそれを均衡のエネルギーだと思っている。だから何よりも私は、均衡が保たれることを望む。それがこの宇宙でもっとも大切なことだと思うから。

おそらく人間あるいは生物自体に既に、均衡を求める欲求のようなものが備わっているのではないかと思う。人間には様々な欲求がある。安全な場所で寝たいとか、お腹を満たしたいとか、人に認められたいとか、自分の能力を発揮したいとか。そういう様々な欲求のなかに、バランスを取りたいという均衡欲のようなものもあるのではないかと思う。それは例えば相手が怒っているときには冷静になるとか、人と人とのバランスを保とうとするときにも発揮されるだろうし、物質的な均衡を求めるときにも表れるだろう。梱包材のプチプチ膨らんだ部分を、特に意味はなく潰したことのある人は多いのではないか。特に潰す必要はなくとも、凹凸を見ると何となく均したくなる、つまり均質な状態にしたいという、そういう欲求が働くことがある。それは人間にもともと均衡を求めるエネルギーが備わっていることを表している一例なのではないだろうか。

エントロピーの増大にもまた、均衡のエネルギーが働いているように思う。熱いお湯を置いておくと次第に室温と同じ温度へと変化し、どんんどん均質化していくというのも、均衡を図る現象の一種なのではないか。コーヒー牛乳を作るとき、最初はバラバラだったコーヒーと牛乳が、混ぜると次第に茶色と白のマーブル模様を描き、最後には完全に薄茶色の均質なコーヒー牛乳と化すというのも、均質へ向かう力が働いているからだろう。より安定した状態、バランスの取れた状態へ向かおうとするということ。

そしてこの宇宙全体を司る均衡というのは、僅かな不均衡を含んでいるものだと私は思っている。なぜならほんの僅かなズレがあることによって、より均衡を保とうとするエネルギーが働くから。それは動いている状態、生きている状態を生み出すから。完全な均衡になってしまったらそれ以上動かないこととなり、死んだような状態になってしまう。そうすると、そこから新しいものが生み出されるエネルギーが発生しないから。

この宇宙自体がそもそも、物質のほうが反物質よりほんの僅かに多かったから、そのズレがあったから今のような状態で存在できているのだし。もし物質と反物質が完全に同じで均衡が取れていたのなら、この宇宙は消滅していたのだ。だからほんの僅かな不均衡はこの宇宙全体の根本にあるのだと思う。そして僅かな不均衡は、大きな均衡を生むために必要、あるいは大きな均衡の一部として必要なものなのだろう。

甘いお汁粉を作るとき、ほんの僅かに塩を入れることでより美味しくなったりすることにも、ほんの少しの不均衡が働いている。完璧に均衡の取れた完全に左右対称の顔は怖い印象や冷たい印象を与えるけれど、ほとんど均衡が取れていて僅かに対称でない部分を含むと、とても美しい顔や温かみのある顔になったりする。地球の形にしても、完全な球体ではなく少し歪んでいる。地軸も少し傾いている。もし地球が完全に垂直だったら今のような環境はない。そういうこと全てに、「僅かな不均衡を含む均衡」があるのではないか。

私はその、僅かな不均衡を含む、あるいは僅かな不均衡が元になって生み出される「均衡を図ろうとするエネルギー」、個々の物質にも宇宙全体にも働いているそのエネルギーが神様だと思っている。だから何よりもまずそれが保たれることを望む。だから私は均衡主義。

私は自分が何者なのか何も分からない。自分が人間なのかどうかもよく分からない。ただ、私は生命体であることだけは確かだと思っている。そして、自分が均衡主義者であるということだけは間違いない。人間である以前に何よりもまず私は、均衡を望み、均衡を重んじる、均衡第一主義の生命体だから。

現在の地球上は、かなり不均衡な状態になっているように思う。もしそれが、より大きな均衡の一部として必要なものなのであれば、もしくは次に訪れる大きな均衡を生み出すための契機として必要な不均衡であるのなら受け入れるより他ないだろうが、そうでないのなら今こそ均衡を図るエネルギーを強く発揮させなくてはならないのではないかと思っている。


2017年9月 間アイ


※本文に於ける「均衡主義」は独立した概念であり、経済用語の財政均衡主義とは関係ありません。


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