自動化、均質化、恒常化の時代

21世紀は、このまま行けば自動化、均質化、恒常化(永続化)の時代となるのだろう。特に、21世紀半ばからは著しくそうなるのではないか。

ほとんどのことはロボットがやれるようになり自動化され、主体的に自分からやらなくても良くなるのだろう。私たちが危険を危険と思う前にその危険の可能性を除去してくれたり、病気になる前に未然に防いだり自動的に治してくれるようになったりするのだろう。あるいは生きるために食料を調達したりその食材を使って調理したりしなくても、食べるものを自動的に生成できるようになるのかもしれない。

そして遺伝子の操作により、好まれない遺伝子が早めに淘汰され、だんだんと人間の体質や外見は似てくるだろう。また、機械により様々な身体能力が拡張されたり、脳と人工知能を結合させることで脳の機能も拡張できるようになれば、身体能力や脳の働きについても全体が似たような状態に近づいていくだろう。それが均質化。

そして科学技術と医療の進歩で寿命が延び、ほとんど死なないような状態に至れば、人間はもうずっと同じ状態のまま生き続けることとなる。それが恒常化。そうなったときにはもう人間ではないかもしれないが。

今は、主体性があり、多様性があり、世代交代して変化していく時代。

今は完全に生活が自動化されているわけではなく、自分から生きようとしないと生きられない。脳も今のところ、コンピュータを使ってはいても分離した存在であり脳とコンピュータが直接つながってはいないので、自分の頭で考えなくてはならない。機械は人間の知的活動を手伝う程度で、飽くまで自分が主体でありコンピュータを道具として「使う」という段階に留まっている。だから思考もすべて自分で行うものであり、思考自体が自動化されているわけではない。でも、将来的には自分で考えようとしなくとも自動的に思考が進むようになるかもしれない。脳と直接機械をつなげることができれば。また、自分から病気を治そうと思わなくても、自分では罹ったことに気づかない間に体内のロボットが治してくれるかもしれないし、予め罹らないように、例えば特定のウイルスが入ってきたとき自動的に追い出すように身体を書き換えることができれば、初めから病気になること自体を防げるだろう。だからいずれ私たちの脳は自分の力で考えなくとも自動的に考えるようになったり、自動的に病気が治ったりするようになるのかもしれない。

それはほとんど自分では生きていこうと思わなくても自動的に生きていけるような状態だろう。

そして、ひとたび遺伝子の改変や脳と機械の結合が行われる時代に入ると、その後、この「自動化」「均質化」「恒常化」は一気に進むと私は思っている。

そうは言っても、「最先端の医療を使えるのは先進国の富裕層だけだから、世界中の人間に影響することはないのでは」という考え方もあるかもしれない。でも、開発途上国では起きないだろうと思っていても、それはどうか分からない。ロボットなら低コストで同じ水準のものを世界中に行き渡らせることができるから。そうなったら、世界中がほぼ同じ水準で同じスピードで進化してもおかしくはない。最初のうちは先進国だけだったとしても、その状態がいつまでも続くかどうかは分からない。少なくともロボットは他の様々な国にも輸出されるだろう。そうなれば世界全体が似たような状況になることも十分考えられると私は思う。一部には自然なままの人類も残るだろうが、そうなれば人工的な施しを為された人類の系統と、天然の人類の系統とに分化するのだろう。

皆が似たような状態になり個人差がなくなると、どのようなことが起きるだろうか。まず、「競えなくなる」ということが挙げられる。皆が同じレベルだから競う意味がなくなる。競っても皆が同じような結果になる。

そもそも「競う」というのは、生物が生き残る為に必要だったから存在した本能のようなものなのではないか。人間以外の動物もそう。自分たちが生きるために食料や住処を巡って競い合い、その中で必要なものを獲得し生き残ってきたというのが私たち生物の歴史だ。生き残る為に戦ってきたのだ。だから生きていくというのはほとんど「競う」ということ、「生き残りの戦いに勝つこと」であると言っても過言ではないだろう。でもそれがなくなるということだ。皆が同じなら争う必要がないから。だから「争い」というもの自体が淘汰されるのではないかと思う。

その世界では、職業の多様性も失われるだろう。私たちはこれまで自分の得意なこと、自分にできることをして人の役に立ち、その分お金を貰い、自分にできないことは他人にしてもらい、その分お金を払うというシステムで社会を築いてきたと言えるだろう。「自分の持っているものを他人に与え、他人からは自分の持っていないものを頂く」ということ。物々交換に始まり、経済は互いに持ち得るものが違うからこそ成り立ってきた人類の営みではないか。だから、互いの持っているものに違いが無くなってしまったら、もうそのような営みは成り立たなくなるだろう。経済が成り立つのだろうか。もうその世界に至っては経済というもの自体が機能しなくなるのではないか。

例えばモデルという職業が成り立つのは、身体のプロポーションが良い人とそうでない人がいるからだ。皆が皆、最大限に人が美しいと思うプロポーションを持っていたら差がなくなるので、誰がモデルでもいいことになってしまう。誰がやっても同じになってしまう。それではその職業自体が成り立たないのではないか。スポーツ選手が成り立つのは、他の人たちよりも運動能力の高い人がいるからだ。皆が同じように最大限に運動能力の高い人たちならば、競ってもだいたい同じ結果になってしまう。それでは競技すること自体の意義がなくなってしまうだろう。

だから能力や外見に差がなくなれば職業自体の意味がなくなってしまうように思う。職業が存在しなければ経済もいらなくなってしまうのではないか。少なくとも多様な人がいることによって多様な職業が存在し、それぞれにお金を払ったり貰ったりして経済が活発に動くというような状態ではなくなるだろう。

皆があらゆる面に於いて最高レベルになれば、それが新しい標準値になる。それが普通ということになるから。そしてその標準値の人しかいないという状態になる。それはとても静かで、止まったような状態なのではないか。あらゆる面で補い合う必要がなく、競うこともない状態だろう。そしてそこからは差があることによって発生する営みが途絶え、それ以上は動きようがないから、基本的には永久に変わらないような状態、恒常的な状態が維持されることとなるのではないか。

皆が同じような均質化した状態、能力も見た目もあまり差がない人がたくさんいる状態、自分の意思で自分から意識的に何かをしなくても、生きるために必要なあらゆることが自動的に行われる状態、身体や脳がほぼ機械化された状態、死ぬということが決まっておらずいつまでも同じ自分を維持できる状態、それはほとんどロボットのような状態なのではないかと思う。

いま、ロボットを人間の状態に近づけるような技術が進んでいる。人間の脳を模倣することでロボット自身が自分で学習できるようになったり、人間と同じような機能を携えたロボットがどんどん開発されてきている。一方で人間は、このまま進むとほとんどロボットに近いような状態になるのではないか。つまり人間がロボット化し、ロボットが人間化するということ。ロボットは人間ではないけれど振る舞い方が人間的になるという意味で。そうなれば人間同士の差がなくなるどころか、振る舞い方としてはロボットと人間との差もあまりなくなるのかもしれない。最終的に皆が特に生き延びようとしなくても自動的に生きているような状態、それぞれの違いが薄く、似たようなもので溢れる世界に至るのではないか。

「何とつまらない時代か」と思えるかもしれないが、それは同時に「生き残ることを巡って争わなくて良い時代」「能力の格差がない時代」「生きていくために必死にならなくて良い時代」「生存以外のことに集中できる時代」とも言える。

もし全ての人が、身体能力も知能も体質も何もかも最大限に良い状態にされている世界になった場合、それぞれの違いが無い故にほとんど今のような社会は成り立たない。それならその社会は何を目的に存続していくのだろうか。今の社会は、それぞれが生き残ろうとして回っている世界だろう。経済が成り立つのもそれぞれの企業が各々の戦略で生き残ろうとしているからだし、個人レベルでも自分が生き残るために皆がそれぞれに自分の能力を使って社会の一端を成しているだろう。でも、特に生き残ろうとしなくても生き延びられるようになったら、そして皆の違いがなくなり、それぞれが得意なことを活かし自分にできないことはお金で買うという具合に、互いに補い合って社会を作るようなことが必要なくなったら、何が残るのだろうか。人間が何の仕事もしなくて良くなったら、やるべきこととして残るものは何か。

私は、その世界に至ったときに最終的に残るのは、「自分たちのいる世界を知る」という課題だと思う。「この宇宙を知る」という作業が残ると思う。もうそのくらいしかないのではないか。 というか、生物がその状態まで来てやっと、この宇宙を理解するための作業に集中できるようになるのだと思う。

それはほとんど生物としての最終地点であるように思う。もはやそれは生物ではないかもしれないが。本来生きていくことを目的に生存する生物が、進化の果てに、自分たち自身で生きていこうと思わなくても自動的に生きていけるようになるということなのだろう。そこまで辿り着けば、もうそれぞれが自分の生存を目的に生きなくて良いのだから、自分たちを中心に考えなくて良くなる。そうなれば自分たちではなく自分たちを囲む環境全体、この宇宙全体へと目を向けることになるだろう。そうなったとき、私たちは今まで以上にこの宇宙を知っていくのだろう。そしてその作業は、人間から進化した「生物ではないような生物」だけではなくロボットによっても行われ、次第にロボットたち自身で進化した次のロボットへと受け継がれていくのだろうと私は思っている。

そしていずれはそのロボットたちが地球以外に住む他のロボットや知的生命体を発見し、その生物あるいはロボットからも宇宙の情報を得ていくのだろうと思っている。あるいは他の天体のロボットも地球の情報を得ていくかもしれないが。そうやっていずれ、宇宙全体が理解されていくのだろう。そして宇宙全体が理解されたとき、そのロボットたちあるいは知的生命体たちは、宇宙に何らかの働きかけをするのではないかと私は思っている。

生命が誕生し知的生命体まで至った天体の生物が、いずれ自動化し均質化し恒常化するのは、いつかその宇宙への働きかけが為されるためなのではないかと私は思っている。だから、この「自動化、均質化、恒常化」は、宇宙の歴史の流れのなかで必然的な出来事であり、宇宙が次の段階へ進むための通過点なのだろうと思う。


2018年1月 間アイ



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