「社会人」という言葉が嫌いだ。それは主に日本語で「社会に出て仕事をしている人」「生計を立てている人」を指す言葉として使われると思うが、その言い方は不適切だと思うから。私は会社員なので社会人ということになるけれど、でもこの世の中にいる人、皆がこの社会に関わっているという意味では社会人なので、一部の人だけを社会人と呼ぶのは言葉としておかしいと思う。なぜこんな言い方がずっと日本の世の中では広く使い続けられているのだろうとずっと疑問に思っている。ちなみに英語では日本で使われている「社会人」にぴったり該当するような言葉はない。
子供や学生やフリーターは、社会人ではないのか?それらの人々は、社会人と呼ばれていないけれど、でも社会に関係していて、何かしらこの社会の一端を担っていたり、社会に影響していたりいる。少なくとも社会の経済活動に関わっている。子供がお小遣いで何か子供向けの商品を買えば、それを生産している会社がその分、儲かる。あるいは子供の養育や教育のために親がお金を使う。その儲けがなければその会社や学校は成り立たないのだから、子供もこの社会の経済を維持するのにとても役に立っている。
専業主婦や専業主夫は社会人に分類されるようだけれど、そのような人々を社会人とは考えない人たちもいる。でも、そのような人たちも社会に大きく関わっている。主婦が野菜やお米を買うことで、それを売っているスーパーや卸している会社やメーカーや農家の人が生活できる。そのお金を稼いでいるのが旦那さんだったとしても、そのお金を使ってくれる場所が旦那さん本人が使う場所だけだったら、社会全体の経済が回らない。
主婦も、子供も、学生も、それぞれの視点から欲しいもの、必要なものにお金を使わないと全ての業界にお金が行き渡らない。お金のことでなくとも、「社会人」として働いている旦那さんの食事を作ったり家の掃除をしたりして生活できるよう維持しているのが奥さんなのだとしたら、間接的にその奥さんは社会に参加しているということになる。べつに仕事をしていなくても社会には参加している。そういう意味では、皆が、社会の維持に必要な活動を担っている。
それなのに一部の人だけを「社会人」と呼ぶのは、その一部の人だけが社会に関係しているかのような言い方であり、とても不適切だと思う。私は会社員だけれども、自分を「社会人」と呼んで子供や学生やアルバイトをしている人を社会人でないと区別するのがすごく嫌だ。全員、この社会に関係する人、この社会を構成する人という意味では社会人だから。自分のような人たちだけが社会人で、勉強している人や家庭にいる人はそうでないなどと言うような言い方をするのは甚だ腑に落ちないのだ。
あるいは学生でアルバイトやフリーランスの仕事もしているという人で、普通の会社員の一年目よりもっと稼いでいるような人の場合、肩書きとしては学生がメインだからということでそのような人を社会人ではないとし、より稼いでいなくとも学生でなければ社会人であるとするのも変だと思う。稼いだり消費したりする金額が多いほうが社会経済活動にはより大きく関わっているわけなので、それなのに大きく関わっている人のほうを社会人でないと見なし、より小さく関わっている人を社会人とするのは矛盾しているから。「学生」に対する対義語のような形で「社会人」が使われることもあるように思うけれど、学生で働いている人で、かつ自分と同等かそれ以上の収入がある人のことを社会人ではないと言って、自分は社会人である、などとは私は言えない。あるいは定職に就いていなくとも自分よりずっと稼いでいて消費している金額も自分よりずっと多い人のことも、その人は社会人でなく自分は社会人だ、などと言えない。なぜなら経済的な面で社会に参加している度合いは自分より強いわけだから。
あとは学生や退職した高齢者で活発にボランティア活動をしている人などで、経済とはまた別の面で社会に大きく貢献している人たちもいると思う。その場合も、社会に影響しているわけだから、もしその人たちの社会への影響力が自分を上回っているのであれば、私はその人たちを社会人でないと言い、自分を社会人だ、などとは言えない。
あるいはSNSなどで大きな影響力を持っている人もそうだと思う。たとえその人が学生で、その人自身は働いていなかったとしても、その人が何かの商品をSNSで良いと言ったら大勢の人が買うというような状況になるのであれば、その人は大きな経済効果を出す力を持っているわけで、社会に大きく影響している。社会への影響力という意味では、定職に就いていない人で、普通に働いている人以上の影響力を持っているという人もけっこういるだろうけれど、そういう人は社会人と呼ばれないのか。私のほうが社会への影響力がない場合、より社会に影響を出している人が社会人でなく、自分は社会人であると言うのも、なんだか変な気がする。
総じて、「社会人」という言い方はそれが指す内容に合っていないと思う。
仕事をしている人のことを指す言葉であれば、社会人ではなく「仕事人」とかで良いと思う。あるいは「勤務者」とか。会社員のことを言うのなら会社員で良いのだし、正規雇用の人のことを言うなら正規雇用の人でいい。アルバイトや非正規雇用に対する言い方として言うのならそういうのでいいと思う。単純に、勤務形態関係なく個人事業主の人も全て含めて仕事している人を指すのなら仕事人とかでいいと思う。学生ではないという意味で言うのなら「非学生」とかでいいと思う。仕事している人と主婦または主夫ならば、「仕事人およびその配偶者」とかで良いのでは。その言い方が長いならそれに何か呼び名を付ければ良いのではないか。
社会人というと、「社会の人」「社会を構成している人」「社会に出ている人」という意味になってしまうと思うけれど、実際は誰もが社会に関係していて、幼稚園児は幼稚園に通うことで、学生は学校に通うことで、主婦はスーパーなどで食料品や生活用品を買ってきて家庭内の活動を支えることで、皆がそれぞれの意味で社会のどこかに出ていると思う。幼稚園も学校も家庭も社会の一部だから。
だから仕事している人に対して「社会人」という言い方をするのはおかしいと思う。仕事している人だけが、社会を構成しているかのようで。それ以外の人は社会の一員ではないの?と思ってしまう。何か、より適切な別の言い方ができてそれが標準的になったら良いと思う。
私は自分が社会人でない時から「社会人」という言い方にずっと疑問を持っていたけれど、社会人になってからのほうがより、自分を社会人と言ってしまうとそれ以外の人は社会人ではないと区別するような感じがしてすごく嫌だと思うようになった。だから今のところ他人と話すときに自分のことを社会人と呼んだことはない。これからも自分を社会人とは呼ばないと思う。
べつに社会人という言い方をする人が悪いとは思わない。今のところ仕事している人をそういう言葉で呼ぶのが標準になっているから。ただ、その言葉には別な名前が付いても良いのではないかと思う。
英語にはないのだから、これは日本人の独特な感覚から来る言葉なのではないかとも思う。日本人に、仕事をしている人だけが社会を作っているかのような感覚があるのだろうか、と思ってしまう。あるいは日本人は、仕事をしている人と、そうでない人を区別したいという感情がとても強いのだろうか。もしくは、学生とそれ以外を区別したいのだろうか。「学生は社会に参加してはいない」と言いたいのだろうか。学生や子供に「あなたたちは社会の一員ではない、社会に参加していない」と言って、学生や子供が「自分はまだ社会に参加していないのだなあ」と思うようにしたいのだろうか。
日本語の「社会人」という言葉は、学業から卒業して働いている人だけが社会人として社会に貢献していて、それ以外の人は社会に貢献していないという思想が無意識の内に反映された言い方であるように見えて、とても勘違いと驕りが詰まったような言い方であると私は思う。
学生や子供に「自分は社会人じゃないから」と社会への参加を遠慮させるような言い方でもあると思う。あるいは働いていない人、家事に専念している人にも、何か、「社会に出ていない」という意識を強く持たせるような差別的な言い方だと思う。日本人は差別的な言葉をとても好む傾向があると思うけれど、この「社会人」というのは、長い間、差別的表現であることを伏せられたまま無意識のうちにそれが最も適切な言い方であるかのように使われてきた例の代表格なのではないかと思う。
2021年1月
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