STEAM教育

科学と技術と工学と芸術と数学を統合したSTEAM教育のこと、昨日の報道ステーションでやってて、おおって思った。私はこれ、前に芸術思考学会っていう学会で初めて聞いたんだけど、とても良いと思う。

個人的にはこれにbiologyのbも足した「STEBAM教育」も出来てほしい。

私は今となっては結果的に、芸術と技術と工学に関わるような道を辿りつつある状態になったけれど、scienceとtechnologyとengineeringとmathematicsとartは、近い分野というより、ほとんど同じものが違う形で表れているというくらい共有してることが多いと思うから、そしてぜんぶ繋がってるから、結局ぜんぶやることになるんだろうなって感じ。

あと少なくとも音楽に関しては、もともと数学だし。統合するという考え方以前に、もともと同じ分野のことだものね。

なんか日本の教育では、「芸術」と「科学と工学と技術と数学」が、別な系統のものっていう印象を持たされるような教育のされ方をするけど、芸術と工学も、芸術と数学も、ものすごく近いっていうか基盤が同じようなことだと思う。だから別なジャンルのものとして区別してるほうが不自然なんだと思う。STEAM教育のほうが自然だと思う。科学については私は勉強したことがないから分からないけど、共有してることが多いと思う。

自分の認識では、「技術と工学」は、実際に使ってみて使いやすいかとか、使えるのかとか、役に立つかとか、何のためのものかみたいな目的があるかとか、機能性、実用性、利便性とかが基準になるのに対して、「科学」は何かを解明するとか、本当のことが何なのかを追い求めるようなもので、どうなっているのか考えたり、事実を確認したり発見したりするようなもので、べつに何のためでもなくやってもいいもので、何かを作ることが目的じゃなくて解き明かすことが目的みたいな感じ。あと「科学」は、自然とか「既にあるもの」「与えられているもの」について考えたり調べたりして本当のことに近づこうと努めるもので、「工学」は「まだないもの」を作るもので、作れれば本当のことが何かとかは考えない、それを考えるのは科学のほうの担当、みたいな感じがする。科学は本当かどうかが大事で、工学は使えるかどうかが大事みたいな感じ。「芸術」は、本人が芸術だと思えば、なんでもいい。

でもそれら全てに関係あるのが、「数学」。

技術と工学と科学には数学が必要で、芸術の場合は数学が必要というより、芸術のなかに数学が入っている、という感じ。

自分のなかでは、「科学と技術と工学と芸術と数学」の認識はそんな感じね。

あと「芸術」と「工学」に関しては、どちらも、ものを「作る」ことだから、すごく同じことだと思う。新しいものを作るということ。で、作るために「技術」が必要なので技術が登場する。なんか学校の教育では芸術と工学ってぜんぜん別の分野のこととされてしまってる感じがして私はとても違和感があるのだけど、それは自分のなかではかなり同じ分野のことだわ。自分は電子音楽を作っているけれど、それに関しては、必ず工学にも芸術にも同時に関わることになる。音を作るときに、メロディーとか和音とかを考えるのと同じように、残響のかけ方をどうするのかとか、ある音の成分のなかでどのあたりの周波数を大きくしたり小さくしたりするのかとか、余計なノイズがプツっと入ってしまったらそれを取り除くとか、そういうエンジニアリングの部分もやることになるけれど、それも音楽の中身を作る作業なので、自分にとって音楽を作ることとエンジニアリングは同じ部類のことなんだ。音楽を作るのは芸術で音響処理はエンジニアリングだと言っても、それらはどちらも音を作ることに必要なので、その意味で電子音楽に関しては芸術と工学は一体だと思う。そういう、工学と芸術に同時に関係する分野ってけっこうあると思う。プロダクトデザインとか建築とかもそうでしょ。

少し別な話だけれど、STEAM教育は、科学と技術と工学と芸術と数学を統合した教育をするという以外にも、意義があると私は思う。

私は中高生のころ、理科と音楽と現国の評論の読解が得意だった。それで社会が壊滅的に苦手だった。それって、学校の科目の分類からしたら、理系でも文系でも芸術系でもない、みたいな感じ、もしくはそのどれもが混ざっているような感じに見えると思う。別な分野に股がっているように見えると思う。だから、その内のどの分野に向いているのか分からない、というようにも見えると思う。

でもそれは、今思えばぜんぜん多岐に渡っていることではなく一貫していて、とても自然なことだったと思う。それは、一つの性質がいくつかの分野で表れていたというだけだと思う。なぜなら、ぜんぶ構造みたいなものを理解することに関係しているから。単にそういうのが得意だったというだけだと思う。自分にとっては、現国の読解と理科と数学と音楽は近い分野で、むしろ現国の読解と、世界史とか日本史とかのほうがとても遠い分野のように感じていた。でも学校では、国語と社会は文系として同じ系統に分類されていて、理科は理系として別の分野に分類されていて、音楽はまたぜんぜん別枠みたいに芸術系として分類されているようだった。だけれど、それは学校での分類方法に過ぎない。あるいは世の中でよく使われる分類方法の一つに過ぎない。

べつに、国語が得意で社会が苦手で理科は得意とか、そういう状態だからと言って理系でも文系でもないとか、そういう見方をする必要もないと思う。そもそも、理系・文系・芸術系・体育系、という分類の仕方は、分野の分類の仕方として、いろいろある中のたった一つの分類の仕方でしかない。「美術と物理」が得意な人とか、「音楽と数学」が得意な人とかも、それはすごく自然なことなのに、この分類方法からすると理系でも芸術系でもない、又はそれらが混ざっている、というような見方になってしまうと思う。それは不自然だと思う。そういう人の場合は、その人の頭の中ではそれらが同じ系統の分野に分類されているかもしれないから、そもそもそういう学校の分類方法自体が自分に合っているのか、というところから疑ったほうが良いのではないかと思う。

そういう学生にとっては、STEAM教育は、「それでいいんだよ!」と言ってくれるような感じがして、その意味でも良いと思う。そういう学生が、学校や世間で言われるたった一つの分類方法に縛られて、「自分は理系でも芸術系でもないのか。どうしよう。どちらかを選ばなければならないのかなあ」などと考えて、無駄に将来の可能性を狭めることなく、そのまま自分の適性を活かした道に進むためにも、STEAM教育は有意義なのではないかと思う。


2021年1月



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