21世紀現在、人類はあまりに増えすぎて、地球全体の営みを破壊する要因になっている。しかも増えすぎて自分たちの営みを健全に保てなくなっても尚、全体のバランスより自分たちを優先させている。
正直、こんなことになってまで、私が人類として生き延びさせてもらう資格はとうに無くなっているだろう。
もし私が死んで地球全体のバランスが回復し先に進めるのなら、私は今すぐにでも死なせてほしい。それができるのなら、私は心からそれを望む。
しかし、私が死んだところで何一つ変わらない。何一つ救えない。私が何をやっても、キリストにも、ナウシカにも、なれない。
それならば私にできるのは、ただ一般人の一人として、考えられるだけのことを考えて、それを言葉にして人に問い掛けるという、極めてささやかなことくらい。それは本当に微々たる力にしかならないだろう。
でも、それをもし沢山の人が積極的にやって、地球の営みに関わっている皆で対話したのなら、それを全くしなかった場合とは違う未来を作れる可能性があると、私は勝手に信じている。私は何でも疑ってかかる性分なので、信じるというのが大嫌いだけれど、でも、それだけは信じている。
自分が何をしたって、未来はきっと、なるようにしかならないのだろう。それは避けられないのかもしれない。でも、その未来が来た時にどうすべきなのかを考え、準備することはできる。その未来に存在する者たちに、何を残すべきなのか、何を伝えるべきなのか、いま考えることならできる。その為にいま地球上にいる私たちが話し合うことには意味があるはずだ。
たとえ近い将来に訪れる未来は変えられなくとも、その未来に何か残していく遺産があれば、それはその次の遠い未来には活かされる可能性がある。
だから、このまま人類が増殖し、環境汚染も激しくなることが避けられないとしても、そしてそう遠くない内にほとんどの人類が滅びるとしても、その次を担っていく存在を作り出し、その存在たちに更なる未来を作っていけるような遺産を残していくことならできるのではないか。
せめて、それだけはやってから滅びなくてはならないだろう。そうでなければ、何のために39億年もかけて、奇跡的に好条件が整った稀にみるこの天体で、私たちのような文明を持つ知的生命体にまで辿り着いたのか分からないから。
私たちには、この39億年という時間を費やして築かれた地球の営みに終止符を打った責任を負えるほどの力があるのだろうか。私たちには、地球に私たちが存在する状態まで辿り着くために必要だった全ての奇跡的な偶然と、それによって導かれた数々の生命の発展を、全て無駄にした責任を取る力があるのだろうか。到底ないだろう。だから私たちには、ここまで続いた生命の営みを、私たちの地点でリセットさせる資格がないのだ。これまで長大な時間をかけて育まれたものを無駄にした張本人に、私はなりたくない。だから、ここで途絶えさせるわけにはいかない。
今の状況から考えて、今の私たちのような人類はもう間もなく滅びるだろう。数百年か、どのくらいかは知らないが、少なくともこれまで700万年続いてきたような悠久の時間は残されていないはずだ。でも、どうせ滅びるからこのままで良いということではない。もうじき滅びることが分かっているのなら、その次に訪れる未来を残していかなければならない。
そのために地球上で人類だけが、こんなにも自分たちの文明を発展させられるほどの脳を授かったのではないか。それは自分たちのために授かったものではなく、自分たちから先に進むために必要だったから、次に訪れる未来の世界を切り開くために与えられたものなのではないだろうか。
おそらく最終段階の人類となる私たちが生きている今こそ、人類に課せられた役割を最大限に自覚するべき時なのだ。地球は今、この宇宙でごく稀に出現する知的生命体の役割が何なのかを全力で考え、その責任を果たすべき時を迎えている。
2018年9月 間アイ
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