今の地球上には様々な街並があり、様々な料理や様々な家具、様々なファッションがある。それは様々な人間がいたから生じたものだ。
きっと、これだけ多様な人がいて多様なものが存在する世界は、今だけだろう。それは何十億年と続く地球の歴史のなかで、ほんの一瞬に過ぎない。あと数十年先からは、だんだんと似たような人、似たようなものが多くなるだろう。生活はどんどん機能的になり、建物や日用品は最も合理的とされる均一な形へと向かい、世界はどんどん均質化していくだろう。そして最終的には、ロボットたちが自らを最も合理的な状態へと進化させ、似たようなロボットたちの世界に至るのではないか。
遠い昔に生命が誕生して間もない頃は、微生物の時代が長く続いたわけで、その頃も地球上には似たような微生物しかいなかったわけだから、それもそれで多様性がなく単調な時代だった。そこから発展して今や知的生命体、人類にまで至り、最初は皆が似たような原始的な生活を営んでいたわけだが、徐々にそれぞれの地域でそれぞれの文化が発展し、多様な人間の世界が形成されていった。一人一人、顔が違い、体質が違い、趣味が違い、性格が違い、得意なことが違う。皆それぞれに遺伝子が違うし、生まれ育った文化圏や生活環境も違うから、各々の個性が際立つ。そして私たち人間は、互いに足りない部分を補い合い、優れた部分を活かし、皆で協力し合ってここまで生き延びてきた。でもそのような状態は、このまま世界が進めば、もう間もなく失われると私は思っている。
もう遺伝子自体を変えることができるのだから、病気を避けるため、身体や脳の機能を高めるため、さまざまな遺伝子が改変され、皆に好まれない遺伝子は淘汰されるだろう。そして皆の体質がだいたい似てきたり、顔や体格も美しく理想的とされる典型的な形へと向かったりして、次第に人の持つ様々な要素が最も望ましいとされる状態へと傾いていくだろう。そうなれば、皆の求めるものも似てきて、多様だった文化のディテイルが削ぎ落とされ、似たようなものが溢れる世界となり、人間の世界は単調化していくだろう。
遺伝子が均質化するだけではなく、脳とコンピュータを繋げたり、脳にコンピュータを埋め込んだりして誰もが巨大な記憶を持っているような状態、あるいは誰もが脳の機能を最大限にまで拡張しているような状態になるかもしれないから、そうなれば思考に関しても個人差がなくなる。そうなったときにはもう人間ではなく、人間の次の段階の生物ということになるだろうけれど。それが人間から進化した先にある状態だと思う。
だから、これだけ多様な人間がいて、多様な文化があり、多様な料理があり、多様な芸術、多様な服装、多様な建物がある今の状態というのは、本当にたった一瞬の、とてつもなく貴重な時間であると思う。ほんの一瞬、たくさんの色がそれぞれの光を放っては散っていく、花火のような時間だ。
その状態が失われることを拒み、何とか多様性を確保しようとしても、この世界が均質化していくことがこの宇宙の必然であるならば、それは避けられないことなのだろう。だから私はもう抵抗しても仕方がないので、ならばせめて、今ある多様性に満ちた豊かな世界を心から楽しみ、味わい、噛み締めたいと思う。そして地球が多様性を持っている一瞬の時期に、知的生命体として存在できていることに感謝したい。
おそらくこの宇宙のいろいろな場所に、生命が存在可能な環境のある天体があり、その中で実際に生命が誕生し発展した天体があるのだろう。そして知的生命体まで至り多様な文明が築かれた後、全体が均質化していくという現象が起きることもあるのではないか。もしかしたら今も宇宙のどこかの天体で、花火のように多様性が一瞬生まれては消え、また別な天体でも一瞬の多様性が生まれては消えているのかもしれない。そういう花火のような瞬間が、宇宙にぽこぽこ点在しているのだろうか。私たちがいる地球は今がまさに、その一瞬の花火が上がっている時期であり、もうすぐそれが散る頃に差し掛かっているのだろう。
でもべつに、散ることが悲しいことというわけでもない。散った後は、それはそれでまた今までとは違う目的で存続することになるというだけだ。これまでの生物の歴史とは違う時代に入るということ。
これまで私たち生物は基本的に「自分たちが生き延びるため、自分たちの種を絶やさないようにするため」に存続してきたけれど、もう自分たちで自分たちを最適化したり、身体の構造を変えたり機械と繋がったりできるようになるのであれば、ほとんどのことが自動化され、病気も未然に防げるか自動的に修復できるようになるだろうから、特に自分の意思で生き延びようとしなくても生きている状態を維持できるようになるだろう。それぞれの人間の能力や身体的特徴に差がないのであれば、互いに競い合う必要も無い。補い合う必要も無い。ほとんどのことはロボットが自動的にやってくれるようになるのだから、自分たちで生きることにエネルギーを費やさなくても良くなる。
となれば、生き延びるという生物としての最も基本的な意識自体が必要なくなるのだから、もうそうなれば生き延びるのとは全く違った目的で存続することになるはずだ。だからそのとき、つまり生きることに集中しなくて良くなったとき、我々生物は次の新しい段階に入るのだと思う。
自分たちも世界全体も完全に均質化され、個人差がなくなり多様性がなくなった状態、そして自ら生き延びようとしなくても生きられる状態というのは、生物としては何のために存続するのか意義を感じられないような状態のようにも思えるが、それは同時に「もう生き延びることや繁栄することを目的に争わなくても良い状態、それ以外のことに集中できる状態」であるとも言える。だからその状態に至れば、生物としての面白みは失われたとしても、何かこの宇宙にとって必然的な次の展開が待っているのだろう。その後は、もはや生物ではないロボットたちが、生き延びるのとは全く違う目的で繁栄することになるのだろう。
その未来へ無事に進む為に、今この多様性に満ちた世界の最終段階にいる私たちが、必要な心得を持たなくてはならないのだと私は思っている。私たち人類の段階で破綻させないように、次の段階に至ったときの世界を視野に含めて今の私たちの行動を判断しなくてはならないだろう。
2018年1月 間アイ
© 2017 Aida Ai All Rights Reserved.