私たちはいずれ、死ななくなるのだろうか。今はまだどうなるか分からないが、これだけ科学技術が発達し、医療が発達し、自分たちの命を自分たちで操作できるようになったら、いずれ死ななくなる可能性は大いにあるだろう。
今のところ私たちの細胞は分裂の回数に限りがあり、永久に分裂することはできないのでいずれは死ぬことが決まっているわけだが、もし永久に分裂するように細胞自体を変えられるのなら、永久に生き続けることもできるのだろう。もちろん、細胞が分裂し続けるとしても途中で病死するという可能性もあるわけだが、医療技術や機械の進歩によってあらゆる病気を未然に防いだり、ウイルスなどが入ってきても自動的に体内のロボットなどがそれを殺したり、異常な細胞があった場合は自動的に修復してくれるようになるかもしれない。また、生まれる前に、将来かかる可能性のある病気を防ぐため遺伝子を予め変えることもできるのだから、そのようなあらゆる方法を使えばいずれ私たち人間は死ななくなるということも考えられる。
でも、もし死ななくなったら、それは生物なのだろうか。微生物などはもともと死なないようにできているから、そういう意味では死なない生物はたくさんいるわけだけれど、私たちのような生物は死ぬことが前提で出来ている。そのような生物が死ななくなったら、それはもはや人間ではなく、人間とは完全に別種の存在となるのではないか。
なぜなら私たち生物は、いつか死ぬが故に生きようとするエネルギーを保てるものだから。「死なないようにする」という意識を根本に持っているものだから。そのためには「生き延びよう」とする性質が必要。だから私たちは基本的には、「生きるため」に生きているのだ。
私たちの行動や感情や欲求などは、基本的にほとんど「生き延びる」という本能に根ざしているように思う。食べたいという食欲があるのも、生きるためには食べることが必要だからだ。性欲に関しても、いずれ自分たちが死ぬから、それでも人間という種族を絶やさず生き延びさせるために次の世代を残すことが必要で、そのためにあるのだろう。何かを「怖い」と感じたり、不安になったり心配になったりする感情が働くのも、生きるために必要だから。生き延びるためには生命を脅かす可能性のあるものを察知して危険を回避する必要があるから、何か危険が迫った時にそれに気づくよう怖さなどを感じるようにできているのだろう。
それはいずれも、私たちが「いつか死ぬ」ということが決まっているから、寿命まで死なないようにするため、もしくは死んでも自分たちの種が絶えないようにするために、あるものだろう。
だから、もし永久に生き延びられるようになったら、そのほとんどの機能が失われるのではないかと思う。自分から特に「生きよう」としなくても自動的に永久に生きられるのであれば、生きるために必要な本能や、「生き延びたい」という生物の根源的な欲求に基づくあらゆる活動が、淘汰されるのではないか。
私たちが永久に死ななくなったとき、そこからはもう今の私たちとは全く異なる価値観のもと、異なる目的で存続することになるだろう。それは言い方を変えれば、生命体が、生き延びるためのあらゆる営みから解放されるということでもあるだろう。これまで地球の生命体は、それぞれが生き延びることに必死になり、ここまで生命の歴史を繋いできたわけだが、もう必死に生き延びようとしなくてもずっと生き続けられるのであれば、生きるためのことにエネルギーを使わなくて良くなる。そうなればそこからは別な目的に集中できるようになれるのではないか。
2018年1月 間アイ
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