「健全でない遺伝子は淘汰されるべき」という考え方がある。全員が心身に何も支障のない状態であることが好ましいという考え。障碍をもたらす遺伝子、不健全な遺伝子を持つ人はいないほうが良いという考え。
これに対し、私は4点ほど思う事がある。
一つ目は、「完全に健全な人などほとんどいないのではないか」ということ。誰にでも多少、何かしら他の大勢の人と異なる部分、異常な部分、不健全な部分、生活する上で多少の支障が出る部分、無い方が良いと思われる部分があるのではないか。そういう部分を持った人は消えた方が良いというのならば、ほとんど全ての人がいなくなるべきだということになる。
それから2つ目は、「たった一時の人間の価値観を基準にして、将来的に残った方が良い遺伝子と淘汰されるべき遺伝子を正しく選別することなどできるのか」ということ。
今の時点では必要ないと思える遺伝子でも、何百年、何千年と経ってみたら実は必要だったという遺伝子もあるかもしれない。後から必要になるということも考えられる。今は病気の原因となる遺伝子であっても、それが遠い将来、今の地球上にはない新種の伝染病などが登場したときに、その病原菌に対抗する機能を果たしてくれるという可能性もなくはない。
あるいは遠い将来のことでなくとも、現段階で何かしらの病気をもたらす要因となるような、一見ないほうが良いように思える遺伝子も、その病気以外のことにはプラスな働きをしているという可能性がある。だから、何か悪いことを引き起こしている遺伝子を消すと、その特定の悪いことは起きなくなったとしても、他の部分で思いも寄らない弊害が出るかもしれない。
3つ目は、「何を健全と捉え、何を不健全と捉えるかは、それぞれの時代や社会的背景によっても変わることで、その基準は相対的なものに過ぎない」ということ。
心身のいろいろな機能に関して、「この数値以上ならば正常でこの数値以下なら異常とする」というような基準が設けられているとしても、それは現在の人間が定めた基準でしかない。例えば、将来的に遺伝子を改変した上で人を誕生させるのが当たり前になった場合、例えばIQが160くらいの人が大勢いる状態になったとする。(これは実際にそうなるかどうかは別として、仮に。)そうなった場合その時代に於いては、今の基準で正常値とされている人も、その時代の平均値の人たちからは知的障碍と見做されるかもしれない。そんなことは、その時によって変わるもの。
あるいは時代の状況だけでなく地域によっても違う。視力が1.0未満の人が大勢いる日本ではそれが当たり前で、べつに眼鏡やコンタクトレンズで視力を補っていたからと言ってそれが障碍と見做されることもない。大して異常だとは思われない。だけれどアフリカの壮大な大地で代々受け継がれてきた遺伝子を持つ人たちにとって、例えば3.0以上見えるのが当たり前だとしたら、1.0も見えないなんてものすごい異常値かもしれない。私など0.1にも満たないから、完全に普通ではない、極度に視力に問題のある人と見做されることだろう。目が見えている人が目の見えない人を障碍と捉えるのと同じように、もしかしたら3.0くらい見えるのが当たり前の地域にいる人は、0.1もない人を障碍のある人、少なくとも健全な状態ではない人と捉えるかもしれない。
だから何を不健全と考えるかというのは地域によっても時代によっても異なるような相対的なものに過ぎないと思う。
それから、義手や義足で人工的に手や足を補っている人がいるように、私は失った歯をインプラントで補っている。(後天的に失っているのでこれに関しては遺伝子と関係ないことのように思えるかもしれないが、遺伝的に虫歯になりにくい強い歯や虫歯になりやすい弱い歯があったり、歯の大きさや骨の厚さなどは生まれ持った部分があったりするから、遺伝子と関係ないわけではない。)だけれども歯を人工的に補ってもそれは障碍とは見做されず、手や足の場合は障碍と見做される。
でもそれって、「人工物で身体の一部を補っている」という点では全く同じことでしょ。全く同じことなのに、一方は障碍で一方はそうでないとされる。それは単に、その時の社会や医療の制度によって定められている基準ではそうなっているというだけのことでしょ。
本質的、絶対的に、「これは不健全でこれは健全」「これは障碍でこれは健常」なんて決められることは何も無いと思う。障碍かそうでないかを判断するに当たって、「今の医学ではこの基準になっている」とか「今の法律ではこう定められている」ということでしかないでしょ。それなのに、そういう一時の基準を元に、今後何百年と続くかもしれない人類とそれに続く生命体たちの遺伝子を、選別していいわけないよね。どの遺伝子を残して、どの遺伝子は残さなくていいかなんて、まだその遺伝子が残っている段階の生物の側には、とうてい判断しようがないことだと思う。そんなのどうなるか分からないもの。
それから4つ目は、「不健全とされる遺伝子を持っている人だからこそできることや、不健全とされる遺伝子を持っている人にしかできない知覚の仕方や世界の捉え方がある」ということ。だから、それらを消してしまうということは、その遺伝子でなければ感じることの出来ない世界を消してしまうということなのだ。この世界から、ものの見方の種類を減らしてしまうということ、知覚の多様性、感性の多様性、思考の多様性を失わせるということなのだ。それは非常に勿体ない。
例えば目の見えない人は、視覚以外の感覚器官で周りの世界を捉えている。それは言い換えれば、目の見えている人とは違ったルートで世界を捉えているということだろう。音の反射や手触り、匂いなどを通して周りの状況を把握している。当然、視覚以外の情報に関して、目が見えている人とは比べ物にならないほど多くの細かい情報量を得ている。そういう人の世界の捉え方があると思う。そういう人にしか感じ取れない世界があると思う。そして、目が見えている人たちと全く違った知覚の仕方、世界の捉え方を持っているということは、そこから出てくる発想も違ってくるはず。視覚に頼って周りの世界を認識している人にはない感性を持っているはず。その感性を持っている人だからこそできることもある。
だから、見えている人の感覚からすれば、「見えていないより見えていたほうが良いに決まっている」と思っても、それはどうか分からない。目が見えていない人たちは、目が見えている人からは見えない世界を見ているのだから。それはお互いにそうであって、どちらが良いかという問題でもないように思う。「見えている世界が違う」「世界の捉え方が違う」ということでしかないように思う。
それから、サヴァン症候群の人など、他人とコミュニケーションを取ることに関しては困難が生じても、何か一つの分野に関して超人的な能力を発揮する人もいる。それを引き起こす原因となる遺伝子を「不健全で無い方が良いもの」と判断し、そのような遺伝子をこの世界からなくしてしまったら、その超人的な能力も失うことになるのだ。それが良いこととは思えない。そういう、日常生活を送る上では支障があっても、他のことに関しては健全とされる人間の何十倍もの能力を持っている人もいるのだから、そういう人は特定の分野に大きく貢献する可能性がある。それを踏まえれば、その原因となる遺伝子の存在意義は十分あるだろう。
もし、この世界の人類全員が、目が見えていて耳が聞こえていて、他人と難なくコミュニケーションが取れて、他の事に関しても全てが健全で、何不自由なく生きて行ける身体と精神を持っていたのならば、この世界に生まれる考え方も、ものの見方も、表現も、発想も、今よりずっと限られたものとなるだろう。そうなれば人間の世界全体が、一定の範囲内でしか動かなくなってしまうのではないか。それはつまり、健全とされる身体と精神を持っているタイプの人たちしかいない限られた範囲内に、自分たちの世界を縛ってしまうということだ。それは不自由なことだと思う。
多様な人間が存在することで、また、異なる人間同士の関わりがあることで、新しい発想が生まれ、そこからこれまでの世界になかったものが登場する。その繰り返しで世界は発展していくのではないか。だから、一定のタイプの人間に限られてしまうと、この世界が発展する可能性の幅が縮小されてしまうだろう。
有性の生物は基本的に、自分たちの種を絶やさないようにするため、必死に遺伝子の多様性を保存しようとする。多様な遺伝子があったほうが、その種が生き残れる可能性が高まるから。だから、一時の人間の勝手な判断で「この遺伝子はいらないから消そう!」などと考えて淘汰させ、遺伝子の種類を減らすというのは、自ら人間という種族を自滅に追い込む行為なのではないかと思う。
今の人間の基準からすれば、どうして存在しているのか分からないような遺伝子でも、もしかしたら重要な役割を果たしているかもしれないし、遠い将来、その遺伝子が残っていた事で助かるということもあるかもしれない。だから、とりあえず色々な遺伝子を保存しておいたほうが賢明なのではないかと私は思う。少なくとも、今の人間の価値観だけを基準に、無い方が良いように思える遺伝子を安易に消そうとするのはとても危険なことだ。
今はゲノム編集で、予め遺伝子を改変して人間を誕生させることが技術的には可能だけれど、それを今の人間の判断だけで行った場合、将来的に必要な遺伝子まで削除したことが原因で多くの人間が自滅するということにもなり兼ねない。
私は、遺伝子を人工的に変えること自体を悪いことだとは思わない。ただ、それは慎重にやらなければならないということ。今の我々の視野だけで、要らないように見えるからと言って、これから先も要らないはずだと決め付けられるようなものではないということだ。
2018年8月 間アイ
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