幸せになるのではなく幸せと思う

人より恵まれている人が幸せなのではない。すごい能力を持っている人が幸せなのでもない。すごいキャリアを持っている人が幸せなのでもない。ただ、自分が幸せだと思う人が幸せなだけだ。

「幸せになる」という言い方があるけれど、「幸せ」は「なる」ものではない。

何か、「仕事で成功すれば幸せ」とか「家庭を築けば幸せ」とか「容姿が美しければ幸せ」とか、そのような「○○になれば幸せ」というものが存在していて、それを掴めば幸せになるということではない。なぜなら、そういうものを掴んでいて、他人から見てどんなに幸せそうな状態になっても、本人がその状態に満足しておらず幸せだと思わないのなら、それは幸せではないから。

逆にどんな状態であっても本人が今の状態を幸せだと思うのなら、その人は幸せだ。今日、生きていることが幸せなら、その人は明らかに幸せだ。たとえ今、他人からどれほど不幸せと思われるような状況にあるとしても。

だから、「幸せな人」と「幸せでない人」がいるのではなく、「幸せと思う人」と「そう思わない人」がいるだけだ。

これは「運が良い人」と似ている。実際には「運が良い人」とそうでない人がいるわけではない。ただ「自分は運が良いと思う人」と「自分は運が悪いと思う人」がいるだけだ。そして「自分は運が良い」と思う人のほうが、物事を前向きに捉えるためプラスなことのほうに意識が向いて、実際に運が良いような状態になるのである。

それと同じように、「自分は幸せだ」と思う人が、本当に幸せなのだ。もし幸せになりたいという人がいるのなら、それ以外に幸せになる方法はないように思う。だから、ただ、今の状態を幸せだと思いさえすれば良いのだ。べつに何かを手に入れたり、何かの状態にならなければ幸せになれないのではない。

今、命があるとか、地球上にいられるとか、空気があるとか、今自分に与えられているものがあるということがどれだけ奇跡的で感動的なことかと思うと、誰一人、不幸せな人などいないように思う。

そう思う余裕がないくらい苦しい状況に陥った場合、そう思えないことが不幸せだとは言えるかもしれない。でもそれは、何かを「手に入れていない」から起きることではなくて、今を幸せと「思えない」状況だから起きることなのだ。今を幸せと思えるのであれぱ、それこそが幸せだ。



以下、他人から見て幸せな人が幸せなのではないという件について。世間一般的によく言われる幸せの要素を持っている人が皆、本人にとっても幸せなのだと判断するのは間違っている。


・スゴいキャリアを持っている人が皆幸せなのではない

誰もがスゴいと思うようなキャリアと肩書きを持っている人が幸せなのかと言ったら、そうではない。私は、自分がこれまでに会ってきた人を見る限り、むしろ、こんな素晴らしいキャリアを持っていたら何も怖いものはないだろうなあと思うくらいスゴいキャリアのある人のほうが、本人は何か自分に満足していないような感覚を持っていることが多いように思う。

スゴいキャリアの人が幸せでない場合の原因としては、私が思い付く限り以下の2つが挙げられる。

1つ目。そういう人は周りにも似たようなスゴい人が多いから、自分よりもっとスゴい人と比べて自分に不満を抱えていたり、葛藤していたりする。

2つ目。それだけスゴいキャリアを築けた人は、それ相応の努力をしてきたわけで、向上心が高く自分に厳しい人であることが多いため、いくら努力してもまだ足りないと感じ、いつも自分が至らない状態であるという感覚を持っていることもある。

これはものすごく知識のある人も同じような場合がある。知識の豊富な人はそれだけ勉強しているから、自分に足りていないことも分かるだけに、人によっては何かいつも、もっと身に付けなければならないというプレッシャーを感じていたり、もっと知識のある人が身近にいたりするから、普通に考えたらスゴいのに劣等感を持っている場合もある。


・他人から見て恵まれている人が幸せなわけではない

他の人より何かが恵まれている人が幸せなわけでもない。

例えば、高IQの人はそれ以外の人に比べて精神を患う危険性が高い。美人は犯罪に巻き込まれる確率が高い。金持ちは金目当ての人が寄ってくる。有名人はどこに行っても注目されて気の休まる暇がない。身分の高い人もそう。家庭を持っている人は独身者に比べて子育てや親戚との付き合いなど、悩みの種も多くなる。ビジネスを成功させた人はそれを維持するために常に油断できない。

それでも本人がその状態を幸せと思うなら幸せだけれど、でも他人から見てそのような恵まれている状態だからと言って、そういう人たち皆が幸せなのかと言ったら、決してそうではない。

それから何よりも、その人にしか分からない苦難を抱えている人はたくさんいる。どれだけ幸せそうに見えても、本人は何か持病と闘っているとか、自分自身の性格のことで困難を抱えているとか。誰からも見えないところで苦悩している幸せそうな人は、たくさんいる。

だからその意味でも、何かの状態になれば幸せになるということではない。誰もが羨むような経歴を作れれば幸せなのではない。大富豪になれれば幸せなのでもない。容姿端麗になれれば幸せなのでもない。頭が良くなれば幸せでもない。むしろそれらは、様々な困難の元にもなる。どこまで行っても自分に満足できない、又はそのことで危険な目に遭う、他人との関わりで問題が生じるなど。

それでも、そうなることを目指して、決して幸せでなくともそうなりたい、というのは理解できる。でも、そうなっていない人が、勝手にそうなっている人のことを、何も辛いことがなく幸せな人なのだと思うのは間違っている。むしろ、人から幸せだと思われるような人は、同じだけかそれ以上の困難も引き受けている。どれだけ恵まれている人も、何かその恵まれている全てのことに匹敵するくらいの辛いことも抱えている場合がある。それは他人から見えないこともあるから、何かを手に入れている人のことを、それを理由に「幸せである」と判断するのは間違っている。幸せかどうかは、飽くまで本人が「幸せだ」と思えているかどうかで判断すべきだ。


2021年8月